🎓恩師との語らい①
〜高校生に向けて〜
読書![イチョウ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/156.png)
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今回は「読書の喜び」について語って頂きたいのですが。
🎓わかりました。しかし「読書の喜び」といっても、「本を読むのは苦痛」という人も多いんじゃないかな。
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はい。じつは、その通りなんです。PC世代というか、「読書は苦手」という人が多いんです。
🎓読んでいたとしても、わりと軽い本とか、面白おかしいだけの本に流れることが多いようです。読まないよりはいいかもしれませんが…。
いろんな人がいると思う。それはそれとして、確実に言えることは、「読書の喜び」を知っている人と知らない人とでは、人生の深さ、大きさが、まるっきり違ってしまうということです。
『庭で犬を膝に抱いて読書する少女』(1874)
ルノワール
一冊の良書は、偉大な教師に巡り会ったのと同じです。読書は「人間だけができる特権」であり、いかなる動物も読書はできない。
自分の人生は一回きりだが、読書によって、何百、何千の他の人生に触れることもできるし、二千年前の賢者と話もできる。
読書は、旅のようなものです。東へ西へ、南へ北へ、見知らぬ人たち、見知らぬ風景に出あえる。
しかも、時間の制約もない。アレキサンダーとともに遠征したり、ソクラテスやユゴーとも友だちになれる。語り合える。
アレキサンダー
【BCE356-BCE323】
アレクサンドロス三世。古代ギリシアの王。青年期はアリストテレスに師事。若くして王位につき、コリントス同盟の盟主となり、エジプト王、ペルシャ王、アジア王となる。歴史上、最も成功した世界征服者。
ソクラテス
【BCE470-BCE399】
古代ギリシアの哲学者。西洋哲学の基礎を築いた第一人者。著述はなく、後に弟子のプラトン等の著作により知られる。
ユゴー
【1802-1885】
ヴィクトル・ユゴー。フランスの詩人、小説家、政治家。代表作『レ・ミゼラブル』は不朽の名作として名高い。
『徒然草』の兼好法師も、「ひとり、燈のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とする」と表現しています。
兼好法師
【1283-1352】
本名:卜部兼好。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人、歌人、随筆家。氏名が"吉田"兼好として知られるが、これは江戸時代からの通説で真偽は不明。『徒然草』は日本三大随筆の一つ。
こんな喜びを知らないとは、何ともったいないことか。宝の山を目の前にしながら、何もとらないで帰ってしまうようなものだ。
多くの偉人は、必ずといっていいくらい、若い時に人生の「座右の書」をもっていた。それは、自分を励まし、リードするとともに、自分の親友であり、師匠といえる。
読書には、人生の花があり、川があり、道があり、旅がある。星があり、光があり、楽しみがあり、怒りがあり、大いなる感情の海があり、知性の船があり、果てしなき詩情の風がある。夢があり、ドラマがあり、世界があるのです。
そして、大事なことは、どんな「喜び」でも、それなりの練習、修練、努力が必要だということです。
スキーの喜びといっても、スキーを練習しなければ味わえるわけがない。ピアノを弾く喜びも同じ、コンピューターを操作する喜びも同じ。読書も、それなりの努力、挑戦、忍耐があって、はじめて「喜び」がわかってくるのです。
いったん、その喜びを知った人は強い。「本が友たち」になった人は強い。何しろ、人類の古今東西の精神の「宝」を、自由自在に味わい、くみ取り、使いこなしていけるのだから。
その人こそ「心の大富豪」です。お金でいえば、銀行を幾つも所有しているようなものだ。必要なだけ、いくらでも引き出せる。
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素晴らしい境涯ですね。そうなるためには、具体的には、どうしたらいいんでしょうか。
🎓読書は「習慣づける」ことが大切です。読書が習慣になった人は、電車のなかでも、寝る前でも、寸暇を惜しんで読むものです。
パスカルいわく「人間は考える葦である」。その「考える」ためには読書が不可欠なのです。ゆえに読書は人間の証といってよい。
パスカル
【1623-1662】
ブレーズ・パスカル。フランスの哲学者、物理学者、数学者、神学者、発明家、実業家。遺作集『パンセ』は後の世代に多大な影響を与えている。
皆さんに読書の喜びを味わってもらいたい。そのために、「読まないではいられない」となるまで習慣づけてもらいたい。中途半端であっては後悔するのは自分です。
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「本を読む時間がない」という声もよく聞きますが。
🎓"暇がない"という人は、たいてい"心に暇がない"のです。読む気があれば、10分、20分の時間がつくれないわけがない。
また、机に向かって読むだけが読書ではない。昔から、文章を練るのにいいのは「三上」といって、「馬の上」「枕の上」「厠(かわや)の上」という。今でいえば「電車で」「寝床で」「トイレで」本を読めるではないかということになるでしょう。
皆さんも、好きな人には"たとえ一目でも、5分でもいいから会いたい"と思うでしょう(笑)それと同じだ。
朝、昼、夜と、それぞれ10分の時間を作れば、一日30分の読書ができる。
むしろ忙しければ忙しいほど、苦労してつくった読書の時間は、集中して読むものです。そのほうが、漫然と読んでいるよりも、ずっと深く頭脳に刻まれることが多い。
「受験勉強で忙しい」という人もいるだろうが、読書の力は、すべての勉強の土台です。
長い目で見れば、必ず成績にも反映されるにちがいない。その上で、"今の時間は、勉強と読書と、どちらを優先すべきなのか"ということは、自分が賢明に価値判断すべきでしょう。
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「何から読んだらいいか、わからない」という人には?
🎓そう迷っている間に、1頁でも読んだほうがいい。迷っていても進まない。1頁でも読めば、その分、前進できる。
![アセアセ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/064.png)
やはり「長編小説」とか「古典」とかを読むべきなのでしょうか。どうしても、とっつきにくいという人もいると思うのですが。
🎓人間にも善人・悪人があるのと同じように、本にも良書・悪書がある。人間というのは、必ず何かの縁によって生きているものです。良い人とつきあえば良い心に染まり、悪い人とつきあえば悪い心に染まる。どんな善人でも悪い世界に入れば、2、3割は悪人になってしまうでしょう。
良書を読むことは、自分自身の中の命を啓発することになるのです。古典の良書は、古くならない。いつまでも新しい。一生の財産です。
イギリスの小説家、バーナード・ショーに、こんなエピソードがある。
バーナード・ショー
【1856-1950】
イギリス連合国(現アイルランド)の文学者、脚本家、劇作家、評論家、政治家、教育家、ジャーナリスト。ノーベル文学賞受賞者。
ある婦人が、一冊の書名を挙げたところ、ショーは読んでいなかった。
婦人は得意げに言った。「ショーさん、この本は、もう5年間もベストセラーですよ。それなのに、ご存知ないとは!」
ショーは穏やかに答えた。「奥さま、ダンテの『神曲』は、500年以上もの間、世界のベストセラーですよ。お読みになりましたか?」(笑)
ダンテ
【1265-1321】
ダンテ・アリギエーリ。イタリア都市国家フィレンツェ出身の詩人、哲学者、政治家。叙事詩『神曲』は世界文学史上、最高傑作の一つ。
また、エマソンも「出版されて1年もしていない本は読むな」と言っている。
エマソン
【1803-1882】
ラルフ・ウォルド・エマソン。アメリカ合衆国の思想家、哲学者、作家、詩人。ハーバード大学を卒業後、教師を経て牧師となるが、形式や権威を嫌い教会を追われ渡欧。同時代のホイットマンやソローをはじめ、後世に多大な影響を与えた。
要するに、出版されて何年、何百年経っても読み継がれている本は名作、良書と思っていいでしょう。
人生の時間には限りがある。ゆえに良書から読むことです。良書を読む時間をつくるには、悪書を読まないようにする以外にない。
悪書は、卑しい悲劇をもたらす、毒薬・麻薬のようなものです。それに対し、良書は、幸福の向上と、知性と創造の方向に命を導き、思想・人生を建設する健全さがあるのです。
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なかには「ゲーテやトルストイも何冊か読みましたが、かなりチンプンカンプンというか、感動しません」という意見もあるのですが…。
🎓正直でいいね(笑)。しかし、ゲーテやトルストイに感動しないというのは、ゲーテやトルストイが悪いのではない(笑)
ゲーテ
【1749-1832】
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。ドイツの詩人、劇作家、小説家、政治家、法律家。小説『若きウェルテルの悩み』、詩劇『ファウスト』等、傑作多数。
トルストイ
【1828-1910】
レフ・トルストイ。帝政ロシアの小説家、思想家。『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』は世界文学の最高峰。
古典というのは、つり鐘みたいなもので、小さく打てば小さな音しか出ない。大きく打てば大きく応えてくれる。こちらの力次第なのです。
どうしても難しいと思うところは2、30頁くらい飛ばして読んでもいいと思う。後で内容がよくわかってから、飛ばしたところに戻って、読み直して理解すればいいんです。要するに、何かを"学ぼう"という気持ちがあれば、必ず「宝」を見つけ出せるはずです。
読書というのは、ある意味で、山に登るようなものだ。山には高い山もあれば、低い山もある。高い山に登るのは大変です。そのかわり、登りきった時の感動は大きい。視界も大きく開けてくる。はるか遠くまで見わたせる。見おろしながら、他の山や丘の低さも、全部わかる。
大変な分だけ、偉大な栄養になるのです。それを知ったうえで、たしかに、いきなり高山に登山せよといっても無理がある。挫折したり、遭難したり、高山病になってしまうかもしれない(笑)。そういう場合は、まず手近な山から登るのもいいでしょう。
自分の興味がある分野の本から始めてもいい。読書に慣れて、ある程度「読む力」の足腰がしっかりしてきたら、もっと高い山に挑めばいいでしょう。
高校時代に読めなければ、大学で挑戦してもいい。社会人になって挑戦してもいい。一生涯、勉強です。大事なのは、「人類の遺産を全部、自分の財産にしてみせるぞ」という決心です。「青春時代に数千冊の本を読破するぞ」というくらいの諸君であってほしいのです。
諸君は、21世紀の「使命の人」です。世界の舞台では、にじみ出てくる教養、人格がなければ、他のことがどんなに優秀でも尊敬されません。金もうけの機械のように思われてしまう。
読書が人間を「人間」にするのです。単なる技術屋であってはならない。どんな立場の指導者であれ、世界的な長編小説も読んでいないのでは、立派な指導者になれるわけがない。
人間主義、人間原点の社会をつくるには、指導者が本格的な大文学を読んでなければならない。これは非常に重要なことなのです。海外の人は、よく読んでいます。日本人は「読んだふり」をしているだけの人が多い。
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読書の際に、気をつけることがあるでしょうか?
🎓「書を読め、書に読まれるな」ということでしょう。読んだら、自分の栄養にするということです。
食べ物だって、消化し、吸収しなかったら、自分の血となり、肉とならない。消化するには、自分で思索することが必要です。
本の読み方にも、いろいろな読み方がある。
第一に、筋書きだけを追って、ただ面白く読もうというのは、最も浅い読み方だ。
第ニに、その本の成立や歴史的背景、当時の社会の姿、本の中の人物、また、その本が表そうとしている意味を思索しながら読む読み方である。
第三に、作者の人物や、その境涯、その人の人生観、世界観、宇宙観、思想を読む読み方である。
そこまで読まなければ、本当の読み方ではない。
ともあれ、良い本を自分のそばに置いておくことは大切です。
ナポレオンは大変な読書家だった。子どものころから『プルターク英雄伝』に親しみ、"自分も将来、この英雄たちのように生きたい"と奮起したという。諸君も「伝記」から入るのも、入りやすいかもしれない。
ナポレオン
【1769-1821】
ナポレオン・ボナパルト。フランス革命期の軍人、革命家。フランス第一帝政の皇帝に即位し、ナポレオン一世となった。軍士官学校時代に砲術書のほか、歴史、地理、天文、法律などの諸学書を精読。特に啓蒙思想家のレナールとルソーに傾倒した。
彼は、後にエジプトに行っても、スペインに行っても、あらゆる分野の書物を持参した。馬車の中にすら書棚を作ったといわれる。彼にとっては、読書こそ"前進のエネルギー"だったのです。
そのナポレオンを尊敬していたスタンダールも、こんなことを言っている。
スタンダール
【1783-1842】
フランスの小説家。社会批判と心理描写に優れ、近代リアリズム小説の先駆者とされる。聖職者や貴族階級の腐敗を鋭く突いた小説『赤と黒』、ナポレオン時代が舞台の『パルムの僧院』は金字塔。
「ある程度、燃料をたかないと機関車が動かないように、毎朝起きて数百頁の読書をしないと、自分の平常の頭にならない」と。
彼らにとって、読書は頭脳と精神の「ガソリン」のようなものだった。そこから力を得て、創造し、闘争し、前進していったのです。
健康な体には「食物」の栄養が必要なように、健康な心には「書物」の栄養が必要なのです。食べ物も、甘いお菓子や、歯ごたえのない柔らかいものばかり食べていたのでは病気になってしまう。また「食わず嫌い」や偏食を重ねてはいけない。
同じように、書物も栄養のある良書を避けてはいけない。「悪書は堕落の使者であり、非行の手引きであり、不幸への落とし穴であり、魔力の毒手である」と言った思想家がいる。
良書は、教師であり、先輩であり、父であり、母のごとく偉大な存在です。良書は、そこに「智慧の泉」があり、「命の泉」があり、「星」があり、人の「善なる魂」があるのです。
『読書をする女』(1880)
マネ
「マンガは読まないほうがいいのでしょうか?」という声もあるのですが。
🎓もちろん、「いつもマンガばっかり」では困る(笑)。大事なことは「自分をつくる」ことです。そのマンガを読んで、自分の生き方が変わった、目から鱗が落ちた、感動で心が洗われた ー そういう場合もあるでしょう。つまらない活字より、ずっと素晴らしい作品もある。
ただし、マンガやテレビは、あらかじめイメージが与えられる分だけ、想像力は育たないという意見もある。その点、活字文化の長所は「想像力」と「思考力」を鍛えるという点にあると思う、テレビで見るのと、読むのとは根本的に違う。
「読む」ということは、頭脳・生命の中に刻み込まれる。自分をつくる大事な「糧」となり、滋養となる。
「見る」だけでは、感覚的なものです。見ることは簡単であり、見ていることで知っているつもりになってしまうが、これは"皮膚"のような感覚で、自分の"肉"や"骨"にはなっていないのです。
今、日本の文化状況は、「手軽なインスタント食品が氾濫している」かもしれない。そういう風潮に流されて、本格的な読書に挑戦しなかったら、中身のない、底の浅い人間になってしまう。そうなったら大失敗です。
どんなに読んでも、勉強しても、「もう、これくらいでいい」とはいえない。21世紀の大樹となるべき諸君です。今のうちに、どれだけ「心の大地」を読書によって耕したか。それで決まってしまう。十分に耕され、養分を豊かにもった大地であれば、大樹は、いくらでも伸びていける。
諸君はだれでも、自分の中に無限の「可能性の大地」をもっている。その大地を耕す「鍬(くわ)」が読書なのです。
完
『青春対話』1997年
【1928 - 】
創価学会名誉会長(第3代会長)、SGI会長。
創価大学・アメリカ創価大学、公明党、聖教新聞、
民音、富士美術館 創立者。文筆家。