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天空に輝く月へ、人類が新たな一歩を踏み出そうとしています🚀

アポロ計画以来の有人月面着陸を目指す「アルテミス計画」が、🇺🇸NASA主導で進んでいます。

名称のアルテミスはギリシャ神話の月の女神で、太陽神アポロンとは双子だといいます。

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最初の有人月面着陸は、53年前(1969年)の7月20日、アポロ11号によって成し遂げられました。

アポロ11号クルーが月から撮影した地球


地球に国と国との境はありません。

私たちは一つの惑星で共生する「地球民族」であるとの思いが一層込み上げてきます。

コロナ禍やウクライナ危機などに直面し、多くの人々が分断や対立の不安に陥っている今、"我らは共通の地球民族"と気づかせ、人類を結ぶ、宇宙的ヒューマニズムともいうべき哲学が求められているのではないでしょうか。


佐藤優



(さとう・まさる)1960年東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了後、専門職員として外務省に入省。在ロシア日本大使館に勤務。帰国後、外務省国際情報局で主任分析官として活躍。作家として大宅壮一ノンフィクション賞、毎日出版文化賞、第68回菊池寛賞など受賞。キリスト教徒。現在、末期の腎不全と前立腺癌であることを公表し闘病中。




月刊『潮』連載

希望の源泉

池田思想を読み解く


第73回


⚫︎佐藤さんが6月初旬に出版された新著『プーチンの野望』がベストセラーとなり、大きな話題を呼んでいます。


あの本は、私が職業作家となった2005年以降、さまざまなメディアに寄せたプーチン論を、加筆修正して集めたものです。その上で、今年2月のロシアのウクライナ侵攻以降の状況について思うところを、語り下ろしの形で新章として加えました。



『プーチンの野望』(潮新書)

佐藤優


⚫︎佐藤さんは、「ウクライナ侵攻については、現時点では事態があまりに流動的であり、世論も沸騰していますので、冷静にお話できる状況ではないように思います」と言われていましたね。こういう本を出されたのは、その後、状況の変化を感じられたからですか?


そうですね。4月くらいまでは、冷静な議論ができるような雰囲気ではありませんでした。停戦を訴えたり、ウクライナ側に少しでも批判的な意見を述べたりするだけで、集中砲火を浴びてしまうような時期でした。


何よりも、そうした議論自体が多くの人々に受け入れられなかったでしょう。しかし、最近ではかなり変わってきて、議論できる素地ができたように思います。そこで、この『プーチンの野望』を緊急出版したというわけです。


⚫︎この本では、外務官僚時代の佐藤さんが、1998年の段階でプーチンとモスクワで出会っていたことなどが明かされていますね。


はい。当時プーチンはFSB(ロシア連邦保安庁)長官という立場で、まだ大統領候補とすら目されていませんでした。


⚫︎プーチンと間近に接した数少ない日本人の一人であり、ロシアという国とその政治を熟知された佐藤さんだからこその深い分析に感服しました。


ありがとうございます。実はあの本には、この連載で皆さんと語り合ってきたことが、かなり生かされているのです。私が池田思想を学んで考えたことが、随所に反映されています。


⚫︎そういえば、『プーチンの野望』の「はじめに」には、池田大作SGI会長の小説『人間革命』冒頭の「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」から始まる名高い一文が引用されていますね。


池田思想から学ぶべき点は、いくつもあります。その一つは言うまでもなく、断じて戦争を避けようとする、根源的な反戦・平和思想です。そしてまた、戸田城聖第2代会長から受け継がれ、池田会長が世界に広めてこられた、核兵器を絶対悪とする思想です。


池田大作第3代会長(現名誉会長、SGI会長)

と戸田城聖第2代会長


ところが、ウクライナ侵攻が始まってからしばらくの間、日本の世論や論壇の動向は、それとは真逆の方向に大きく暴走していました。


暴走の最たる例として、一部の自民党政治家が、ウクライナ侵攻を奇貨として、「日本は核共有すべきだ」と主張し始めたことが挙げられるでしょう。要は、「これからはロシアがいつ日本に攻め込んでくるかわからないし、米国の『核の傘』による安全保障はあてにならないから、日本も独自に核兵器を保有すべきだ」という主張です。世論のなかにも、そうした主張に同調する声が多数見られました。


しかし、これは「核兵器を持つことで平和が担保される」とする時代遅れの「核抑止論」そのものです。そもそも、核抑止力という考え方そのものが「神話」にすぎません。


ひろしまレポート2021


米国もNATOもロシアも、核兵器を保有しています。「核兵器を持つことで平和が担保され、核大国を当事国とする戦争は起きなくなる」という「神話」は、他ならぬロシアのウクライナ侵攻で突き崩されたのです。


にもかかわらず、そのウクライナ侵攻を見て、慌てふためいて核兵器を持とうとするのは愚かしい発想です。使うことで人類が破滅に向かうような核兵器は、廃絶を目指して進んでいくしかないのです。


創価学会の平和運動の原点となった、戸田第2代会長による「原水爆禁止宣言」の精神に、今こそ私たちは立ち返らなければいけません。それは公明党議員の皆さんにとっても一つの原点であるはずで、公明党が与党の一角にいることの意義は、いっそう重みを増していると思います。


原水爆禁止を訴える戸田城聖第2代会長

1957年9月


そんな人は決していないとは思いますが、もし仮に公明党の議員が自民党の一部に同調して、「今こそ日本は核共有すべきだ」とSNSなどで主張し始めたとしたら、それだけで党内で問題化するでしょう。除名処分すら検討されると思います。


公明党にとって、核兵器廃絶を目指すことはそれほど重い、政党としての根幹にあるテーマになっているのです。だからこそ、公明党の存在は与党において、ウクライナ情勢を巡る一部自民党議員の暴走の歯止めになっています。


今夏の参議院選挙に向けた公約でも、"核兵器による威嚇や使用、核共有の導入には断固反対"と明記されています。


国家指導者を「悪魔化」する危険性


また、今こそ池田思想に学ぶべきもう一つの点として、自分と相いれない相手に対しても対話の努力を諦めないこと、そして、対話こそが平和の礎となるという強固な信念が挙げられます。


池田会長は1974年9月のソ連初訪問に際して、「宗教否定のイデオロギーを持つソ連に、なぜ宗教家が行くのか?」と批判を浴びましたが、「そこに人間がいるからです」と答えました。


たとえ、思想的に相いれなくとも、同じ人間であるという最大の共通項があるのだから、相互理解のための対話を諦めないという信念の言葉です。


コスイギン首相と会談する池田会長

1974年9月


モスクワ大学の学生と語り合う池田会長


私は、今のウクライナを巡る状況を改善させるためにも、同じ信念を持つことが大切だと思います。プーチンをいたずらに「悪魔化」してしまうことは、その対話を最初から諦めてしまうことに他なりません。


池田会長ならそうした姿勢は取らないでしょうし、池田思想を根底に持つ公明党議員の皆さんにも、ロシア側との対話を諦めないでほしいと思うのです。


モスクワ大学名誉博士号授与式

1975年5月


モスクワ大学で記念講演を行う池田会長

隣はホフロフ総長


⚫︎『プーチンの野望』の「はじめに」で、佐藤さんが「他者を悪魔化する発想の背景にはキリスト教の影響がある」と書かれていたことに、ハッとしました。


はい。悪を人格的に体現したものが悪魔であって、この思考を採ると、いったん「悪魔のレッテル」を貼った相手は打倒するしかないという結論になってしまいます。その思考がどんどん純化されていくと、「敵国は悪魔が率いているのだから、核兵器を使ってでも殲滅するしかない」という考えに行き着いてしまいかねません。


西側でプーチンの悪魔化が進む一方、ロシア国内ではゼレンスキーとバイデンの悪魔化が進んでいます。これは大変危険な状況で、だからこそ、池田会長の対話を諦めない姿勢に我々は学ぶべきなのです。



池田会長の対話重視の根底に、仏法の人間観があることは言うまでもありません。仏法では、すべての人間の生命には尊極の仏性があると捉えます。


また、その仏性は、さまざまな機縁に応じて移り変わる十界の一つ「仏界」であると考えます。ゆえに、仮にプーチンの生命境涯が今は地獄界や餓鬼界、畜生界にあったとしても、今後何らかの機縁に触れて変わり得るし、彼の中にも仏性はあると考えるのです。


池田会長はそのような人間観に立つからこそ、思想的に相いれないと思える相手とも対話を重ねてこられたのです。


「核兵器-現代世界の脅威」展

1987年5月モスクワ


ゴルバチョフ大統領と初会談

1990年7月


プーチンを悪と決めつけ、「悪魔のレッテル」を貼るのではなく、彼の生命の奥底にある仏性に語りかける思いで対話を試み、よき方向に変えることを考えるべきでしょう。ウクライナ侵攻問題に限らず、世界の為政者たちは池田思想に、そして法華経の人間観に学ぶべきです。


コロナウイルスとの戦いは、我々人間が制御できないものが相手です。それに対して、戦争は人の心から起きるものですから、人間が制御できるはずです。だからこそ、為政者たちは一日も早い停戦の実現を目指して、人の心を平和の方向に向かわせる努力をすべきなのです。



付け加えるなら、キリスト教本来の教えは、いたずらに国家指導者を「悪魔化」するような姿勢とは無縁です。なぜなら、イエスは「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」と言われたからです。敵対する人々を憎むのではなく、むしろ愛する気持ちを持つことで、神の働きによってその人の心が変わると、キリスト教は説いているのです。


また、イエスには「平和を実現する人々は、幸いである。その人は神の子と呼ばれる」という言葉もあります。戦争を煽るのではなく、平和の実現に向けて努力することこそ、キリスト教徒としての使命なのです。


ただ、ウクライナ侵攻以後、キリスト教の世界的指導者でさえ、イエス本来の教えを忘れたかのように、戦争を煽る行動に走っています。例えば、カトリック教会のトップであるローマ教皇は、慎重に言葉を選びながらではありますが、ウクライナ支持の姿勢を打ち出しました。一方、ロシア正教会のトップであるキリル総主教は、ロシアによる「特別軍事作戦」に祝福を与えました。


ローマ教皇とキリル総主教


重い責任を担う宗教指導者のそのような姿勢に、私は一人のプロテスタント神学者として、憤りを感じますし、残念でなりません。



「第三文明」8月号

より抜粋