📖日蓮

「釈迦如来にとっては〈迫害を加えてきた〉提婆達多(だいばだった)こそ第一の善知識ではなかったか。今の世間を見ると、人をよくするものは、味方よりも強敵が人をよくしているのである」



ランニング前回あらすじ

自己の邪心を師・仏陀に見破られた提婆達多。彼は遂に反旗を翻し、次々と仏陀殺害計画を実行するも、ことごとく失敗に終わりました。そこで彼がとった新たな行動とは…仏陀に、さらなる危機が迫る!



「手塚治虫のブッダ」製作委員会

2011年 東映、Warnar  Bro.



ある時、提婆達多は、自分を慕う何人かの比丘(びく)を引き連れ、釈尊のもとに向かった。


既に、釈尊から離れ、別行動をとってはいたが、なお、完全なる反逆を明らかにしていたわけではなかった。


釈尊は、久し振りに訪れた提婆達多を迎え入れた。彼は、提婆達多が自分の命を付け狙ってきたことも知っていたであろう。


しかし、それでも、可愛い弟子の一人であった。いな、心が毒された弟子であればあるほど、釈尊は不憫に思い、この不肖の弟子のために、心を砕いていた。折あらば、善導し、悔い改めさせたいと、強く思ってきたのである。


提婆達多は、恭しく釈尊に合掌すると、こう切り出した。



「世尊は、欲望を制御して、満足を知り、衣食住に対する貪欲な執着の心を捨て、精進に励むところに、仏道があると説かれた。ならば、これから私の申し上げることは、あらゆる面で、世尊も賛同されるものと思います。つまり、新たに5つの戒律を設けて、それを出家した者に厳守させるのです」


提婆達多は、のぞきこむように釈尊の顔を見ると、5つの戒律を述べ始めた。


これらの内容は、経典によって微妙に異なっているが、いずれも、殊更に生活を厳しく規定するものであることは共通している。


提婆達多は尋ねた。


「世尊、いかがでございましょう」


釈尊は、言下にこれを退けた。


「提婆達多よ、そんなことを定めて、なんになるのだ。林に住みたいものは住めばよいし、人里に住みたいものは、人里に住めばよい。そのように自由でよいではないか」


その答えを聞くと、提婆達多は、ほくそ笑んだ。


「世尊がそうお考えならば、仕方ありません」


彼は、呆気ないほど簡単に、自分の意見を引っ込めた。それは、彼が計画していた通りの結末であった。


当時、苦行を尊ぶ風潮から、釈尊の教団が、竹林精舎や祇園精舎などの精舎を安息所としていることが、しばしば批判の対象になっていた。その背後には、釈尊の教団が多くの在家信徒の供養を得ていることへの嫉妬があった。


いずれにせよ、釈尊への非難を煽るうえで、5つの戒律の提案を否定されたことは好都合であった。それは、釈尊が贅沢を欲して、腐敗、堕落したと証明できる切り札となるからだ。


提婆達多は、意気揚々として、自分の手下を引き連れ、王舎城に向かった。そこには、ちょうど、釈尊の弟子たちが集まっていた。その大多数は、まだ新参の弟子であった。


彼は、皆の前に立つと、威厳をもって語りかけた。


「諸君!世尊はこれまで、なんと説いてきたか、知っているか。世尊は、欲望を制御して、満足を知り、衣食住に対する執着の心、貪欲を捨て、精進せよ ー こう説いてきたのだ。しかし…」


聴衆は、提婆達多の話に、一心に耳を傾けていた。


「私の提案は、清浄なる出家者としては、当然のことではないか。いな、世尊自身が、これまで説いてきたことでもある。だが、世尊は、それを拒んだ。


なぜか  ー  。厳しき修行を厭うているからだ。贅沢が身についてしまったからだ。それは、腐敗し、堕落した姿ではないか。もはやそこには、まことの仏陀の姿はない。


そこで、私は新しき仏陀の道を開くために、この5つ戒律を打ち立て、修行に励むことにした。本当の仏陀の道を極めんとする者は、私とともに来れ!」



彼の話は熱を帯び、怨念の放つ、異様な迫力をもっていた。


新参の修行者たちの心は動いた。


"釈尊は、堕落し、栄華を求めているのか!"


彼らは、釈尊に帰依して日も浅く、提婆達多の策謀など知るよしもなかった。



しかし、心ある弟子たちは憤った。


"提婆達多は、世尊の教団を分裂させようとしているのだ!"


結局、その場にいた比丘たちのうち500人は、提婆達多について、彼が本拠地としていた象頭山に行ってしまった。あとに残ったのは、ほんの一握りの弟子たちであった。


"正義"が"邪悪"となり、"邪悪"が"正義"と見えるように仕向ける。提婆達多の巧妙なトリックが功を奏したのである。


釈尊は、舎利弗(しゃりほつ)と目連(もくれん)から、この報告を受けると、言った。


「あなたたちは、あの500人の比丘たちが、かわいそうだとは思わないのか。彼らが不幸になる前に、連れ戻してあげることだ」


釈尊は、何もわからぬままに、和合僧を破壊しようとする提婆達多に騙され、仏道を踏み外そうとしている比丘たちが、不憫でならなかった。



舎利弗と目連は、急いで象頭山(ぞうずせん)へと向かった。


まことの時に、敢然と立ち上がり、戦ってこそ、本当の弟子である。釈尊は、弟子たちの行動をじっと見ていた。


二人は必死であった。どんな危険が待ち受けているかもわからない。しかし、釈尊の正義を証明するためにも、また、500人の比丘のためにも、断じて戦い、勝たねばならないと思った。


釈尊がいかに正しく、まことの仏であっても、弟子の多くが提婆達多に従っていくならば、提婆達多こそが、正義となり、仏であるということになってしまう。現実のうえで、正義を証明するためには、弟子たちを連れ戻さなければならなかった。


舎利弗と目連は息を弾ませ、象頭山への道を急いだ。



提婆達多は、勝利の快感に酔いしれていた。彼は、二人が山に登って来るのを見ると、にやりと笑い、仲間に言った。


「ほら、見てみなさい。瞿曇(くどん=釈尊の名)の最高の弟子である舎利弗と目連でさえ、私の教えを求めて、喜んでやって来たではないか。これで、私の教えが、どれほど素晴らしいか、よくわかったであろう」


釈尊の最高の弟子である二人が、自分を慕って来たと思った提婆達多は、嬉しくて仕方なかった。


仲間の一人が答えた。


「いや、彼らを信じてはなりません。何を考えているかわかりません」


「心配は無用だ。私の指南を求めているからこそ、ここまで来たのだ」


傲り高ぶった彼には、何も耳に入らなかった。そこに慢心の落とし穴もある。


提婆達多は、努めて鷹揚に振る舞い、喜んで迎え入れた。そして、得々として、従ってきた比丘たちに説法した。彼の話は、実は、ことごとく釈尊の受け売りであった。


しかし、比丘たちは目を輝かせ、真剣に提婆達多の説法を聞いていた。


その間、舎利弗と目連は、反撃のチャンスを待っていた。やがて、疲れ果てた提婆達多は、舎利弗に言った。


「ここにいる比丘たちの求道の姿を見よ。眠ろうとさえせずに、真剣に法を求めているではないか。舎利弗、彼らのために、私に代わって説法してやってほしい。私は背中が痛くなった。少し休もう」


それは、高齢の釈尊が、疲れた折に、しばしば行っていたことであった。彼はその振る舞いを、真似てみたかったのかもしれない。


舎利弗が説法を始めた。提婆達多は、そのまま横になり、眠ってしまった。


いよいよ反撃の好機は到来した。二人の戦いが始まった。



舎利弗と目連は、苦行に等しい5つの戒律を守ることは、本来の仏陀の道ではなく、提婆達多が教団を分裂させるために画策したものであることを語り、釈尊の教えの正義を叫んだ。


さらに、和合僧の重大な意義を訴え、それを破らんとする提婆達多の反逆を、鋭く暴いていった。


500人の比丘たちの智慧の目は、次第に開かれ、自分たちに分別がなかったために、提婆達多に騙されてしまったことに気づいた。


彼らは、舎利弗と目連に促され、再び、釈尊のもとに帰っていったのである。



眠りから覚め、仲間から事の顛末を聞いた提婆達多は、憤怒に震え、その場で熱血を吐き、やがて、死んでいったと、ある仏典は伝えている。


弟子の戦いが、釈尊の、そして、教団の窮地を開いたのである。


舎利弗、目連の偉大さは、ただ、智慧や神通力に優れていたことにあるのではない。まことの時に、その力を発揮し、勝利の旗を打ち立てたことに、彼らの真価があった。


釈尊の教団は、見事に分裂の危機を脱した。



一方、提婆達多にそそのかされて、釈尊に敵対し、父の頻婆娑羅(びんばしゃら)を死に至らしめた阿闍世(あじゃせ)は、重病にかかってしまった。


そして、深い反省の末に、遂に釈尊に帰依したのであった。釈尊滅後、阿闍世は、経典の結集に協力するなど、仏法の興隆に尽力したことは、よく知られている。



つづく


『新・人間革命』第3巻
池田大作

参考文献:
⚫︎『国訳一切経 印度撰述部』
⚫︎『南伝大蔵経』
⚫︎『ブッダのことば』、『ブッダの真理のことば』、『ブッダ最後の旅』他 
中村元訳
⚫︎『原始仏典』全10巻 
梶山雄一・桜部建他編集
⚫︎『仏教聖典選』
岩本裕訳
⚫︎『大乗仏典』
原実訳
⚫︎『インド仏教史』
平川彰著
⚫︎『釈尊の生涯』
水野弘元著
⚫︎『仏陀』、『この人を見よ』、『ブッダ・ゴーダマの弟子たち』他 
増谷文雄著
⚫︎『釈尊をめぐる女性たち』
渡辺照宏著
⚫︎『仏陀と竜樹』
K.ヤスパース著、峰島旭雄役
⚫︎『ゴータマ・ブッダ』
早島鏡正著
⚫︎『インド古代史』
D.D.コーサンビー著、山崎利男訳
⚫︎『ウパニシャッド』
辻直四郎著

挿絵:
⚫︎『ブッダ』全12巻(潮出版)