前回あらすじ
破竹の勢いで拡大、発展を遂げる釈尊の教団。
すると、既成権力からの怨嫉、無知や自己執着に気づかない者からの誹謗中傷などの迫害が惹起しました。
それは釈尊にとっては最初から存知のこと。試練を乗り越え、信仰を深め、金剛不壊の団結を築いていったのでした。
しかし、"獅子身中の虫、獅子を喰む"…
なんと教団の中から、釈尊の命を狙う者が現れます。
「手塚治虫のブッダ」製作委員会
2011年 東映、Warnar Bro.
弘教が進むにつれて、釈尊には、さらに大きな難が競い起こっていく。そのなかでも、特筆すべきは、提婆達多(だいばだった)の反逆である。
提婆達多は釈尊と同じ釈迦族の出身で、阿難(あなん)と兄弟といわれている。
釈尊とほぼ同年代とする説もあるが、種々の経典から考えると、提婆達多は釈尊より、はるかに若かったらしい。
そして、青年時代に帰依し、しばらくは純真に修行に励んできた、聡明な若者であったようだ。
"釈尊は、なんと凄い方なのだろう"
釈尊を見つめる提婆達多の目は、燃えるような輝きを放っていた。自在に法を説き、仏陀として多くの人々の尊敬と信頼を集める釈尊に、彼は強い憧れをいだいていたのである。
釈尊と同じ釈尊族の出であることに、彼は誇りを感じ、話し方や身振りも、いつの間にか、釈尊に似ていった。
そして、提婆達多は、弟子たちのなかでも、次第に頭角を現し、周囲から智者として、崇められるようにもなっていった。
しかし、壮年期になると、その誉れ高い世評の風が、彼の名聞名利の心を煽っていった。
"俺も世尊のように、仏陀として、大衆の尊敬を集めたいものだ…"
しかし、釈尊は、人気を得るために法を説いたのでは決してない。ただ、人々の幸福のために法を説いているのだ。ところが彼は、今や、その根本の一点を凝視することができなかった。退転、反逆も根本の一点の迷い、狂いから始まる。
提婆達多は、自分が釈尊の第一の弟子であるかのように、吹聴するようになった。また、自分も悟りを得た仏陀で、最も厳格な修行者であるかのように振る舞った。
名利を貪る欲望は、あらゆる役柄を演じさせる。彼は、人々の前では、見事な「聖者」であった。
その一方で提婆達多は、自分を庇護し、後ろ盾となる、権力ある人物を探していた。そして、目をつけたのが、摩訶陀(まがだ)国の王子の阿闍世(あじゃせ:アジャータサットゥ)であった。
彼は考えた。
"阿闍世は有能な人物であり、いずれは、王位を継ぐことになる。次期の国王が私に帰依することになれば、私の未来は安泰だ。さらに、人々の尊敬も高まるであろう"
彼は、釈尊が弘教に出かけた隙を突くように、阿闍世に近づいていった。
阿闍世は、父の頻婆娑羅(びんばしゃら)王のもとにあって、なかなか王位に就くことができずに、悶々としていた。
提婆達多は、巧妙に王子に取り入り、手厚いもてなしと供養を受けるようになった。連日、車500台もの供養の品々が、彼のもとに届けられた。
彼は、その供養を貪った。もはや、それ自体が出家としての堕落であった。
やがて、彼は、自分が釈尊に代わって、教団の中心になろうとの野望をいだき始めるのだった。
そのころ、既に釈尊は70歳前後であったようだ。釈尊は、そんな提婆達多の野望を見破っていた。弟子の大成を思い、心を痛めていたにちがいない。
しかし、釈尊が善導しようとしても、彼は聞く耳をもたなかった。敢えて自分の優秀さを誇示して、何も言えない雰囲気をつくり出していた。
それは求道を放棄した、慢心のなせる業にほかならなかった。
もし、厳しくその姿勢を正そうとすれば、彼は反逆するにちがいないと、釈尊は深く思った。
ある日、釈尊は、弟子の一人がこう呟くのを聞いた。
「提婆達多も大したものだ…」
提婆達多への阿闍世の庇護に、羨望を感じての言葉でもあった。
釈尊は、厳とした口調で言った。
「決して羨むようなことではない。芭蕉や竹も、花を結んだ途端に枯れてしまう。人間も同じだ。人は名利によって、自ら崩れていく。だから、私は提婆達多のことが心配なのだ」
それから間もなく、一つの出来事が起こった。
その日、釈尊の周りには、大勢の弟子が集い、求道の語らいが弾んでいた。すると、おもむろに、一人の弟子が立ち上がり、釈尊の前に進み出た。
提婆達多であった。
彼は、釈尊に向かって慇懃に合掌すると、こう語りかけた。
「世尊!ご相談申し上げたいことがございます」
丁寧な口調であったが、どことなく不遜な響きがあった。
「今や世尊は、お年を召されました。お体も衰えておられます。ご無理なさってはいけません。速やかに閑居され、悠々自適の生活に入られてはどうかと思います。そして、あとのことは、この私にお任せください」
提婆達多は、釈尊の体を気遣っているように見せかけながら、教団の統率の権限を、自分に譲れと、引退を迫ったのである。釈尊は、彼が本性を現したことを知った。
「提婆達多よ、私に代わって、教団を統率しようなどという考えを起こすのはやめなさい」
「世尊には、末永くお元気で、私どもを見守っていただくために、閑居をお勧めしているのです。私に教団の指導をお任せ願えれば、これまで以上に発展させてまいります」
提婆達多は、執拗に引退を迫った。
釈尊は、今、ここで厳しく彼を弾呵し、一念の狂いを正しておかなければならないと思った。そうすれば反逆するであろうことはわかっていた。しかし、弟子の悪を責めることは、師としての慈悲である。釈尊から、火のような言葉が発せられた。
「もう、やめなさい!お前の魂胆は見え透いている。私は、あの舎利弗(しゃりほつ)や目連(もくれん)にも、教団の指導は任せないのだ。それが、どうして、お前のような、人のつばきを食う者に、教団の指導を任せることができようか!」
容赦のない、呵責の言葉であった。
「人のつばきを食う」とは、提婆達多が阿闍世の庇護に甘えて、私利私欲を貪ってきたことをさしている。
釈尊の言葉は、提婆達多の胸に突き刺さった。毒矢に射られたように、彼の心に激痛が走り、熱湯のような憤怒が噴き上げた。
彼は、釈尊が人々の面前で、舎利弗や目連よりも自分の方が劣っていると公言したのみならず、「人のつばきを食う」と、最大の侮蔑の言葉を浴びせたことに我慢がならなかった。
提婆達多の体は、怒りに、わなわなと震えていた。しかし、平静を装い、釈尊に合掌すると、そそくさと立ち去っていった。
彼は固く拳を握り、憤怒に燃えた目で天を睨んだ。
"瞿曇(くどん)は、俺を皆の前で怒鳴りつけ、恥をかかせた。あれが聖者のやることか!悟りを得た仏陀の振る舞いか!もし、俺に悪いところがあれば、内々に呼んで、諌めればよいはずだ。確かに俺は、阿闍世から供養を受けた。しかし、供養なら、あいつだって受けているではないか。何が悪いのだ!"
釈尊に対する供養、寄進は、精舎をはじめ、膨大なものがあった。しかし、それは、すべて教団のために使われ、釈尊はボロ布をまとい、托鉢して歩き、清貧に甘んじていた。提婆達多のように、供養を私利私欲のために使うことは決してなかった。だが、もはや、彼には、それもわからなかった。
"結局、瞿曇は供養を独り占めしたいのだ。教団のものは全部自分のものだと思っている。だから、いつまでも、統率の権限を手放さず、居座っているのだ。教団の発展は、あいつ一人の功績ではない。弟子たち皆の力ではないか。しかし、あいつは、それを認めようとしない。あの男は弟子たちを、自分のために利用しているのだ!瞿曇は老いた。身も心も…。昔は、そんな人間ではなかった。だから、俺も仕えてきた。しかし、今や強欲な、老残の身をさらすだけの人間になってしまった。そんな男に、いつまでも操られてなるものか!"
彼にとって、既に釈尊は怨念の対象でしかなくなっていた。
名聞名利に蝕まれ、自己の野望のために生きようとする者にとっては、いかなる聖者も、自分と同じようにしか見ることができない。
歪んだ鏡には、すべてが歪んで映るように、人間は自己の境涯でしか、物事をとらえることができないものだ。