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それは人類の歴史上、何度も繰り返されてきた悲劇だからです。
本来は、人間が幸せになるのが目的であり、その手段である政治、経済、宗教が、一部の人間により悪用され、本末転倒してきました。
そこには、民衆の苦しみに巧妙に付け込んだ、人間に潜む権力欲、支配欲があり、尊極な「人間・生命」に対する無知と慢心がありました。

今日は、悲惨なテロルを生んだ根源を、旧ソヴィエト連邦から学んでいきたいと思います
社会主義国にあって、なぜスターリンのような、血の粛清を重ね、無数の人々の生命を奪った独裁者がつくられたのか。
また、何故、強権主義、官僚支配が生まれ、かくも民衆の自由が奪われてしまうのだろうか。
ヨシフ・スターリン
【1878-1953】
共産主義を生み出すに至ったマルクスの理論構築の動機には、ヒューマニズムがあったことは事実だ。
19世紀の先進工業国であったイギリスの労働者の、あまりにも悲惨な状態が、何に由来するのか、どう救済すべきかの解明から、マルクスの理論構築は始まっているからだ。
彼は、人間を「階級」という枠で捉え、社会の矛盾や悪の根源を、「階級」の対立に見出した。
そして、この対立をなくすことによって、矛盾や悪の根を断つことができると考え、歴史の新たな担い手を、「プロレタリアート(労働者階級)」という集団的人間に仮託した。
しかし、その人間の洞察は、あまりにも表層的であった。
カール・マルクス
【1818-1883】
当時の進歩主義的な風潮もあずかって、マルクスは、いわば「理性のモノサシ」をもって、極めて単純化して人間を捉えたのである。
だが、人間の欲望やエゴイズムは、理性や自覚化された意識の力で、全てコントロールできるほど、単純なものではない。
人間の心には、大宇宙が内包されている。善も、悪も具(そな)え、無限の可能性を秘め、瞬間瞬間、躍動して止まぬ生命的存在が人間である。
ところがマルクスは、この限りなく深い、人間の内面を徹底して見すえず、その全体像を把握することはなかった。
人間とは何かを正しく認識せずしては、人間の幸福を実現することは不可能である。
にもかかわらず、完全無欠な社会を想定し、そこに強引に人間を当てはめようとしたことによって、マルクスの理論構築の動機にあったヒューマニズムの芽は摘み取られていったといえる。
ロシア革命は、レーニンなどに代表されるように、知識人によって、意図的に計画され、遂行された、世界最初の革命であった。
ウラジーミル・レーニン
【1870-1924】
現実のなかで、いかに革命を推進するかを考えたレーニンは、前衛党の強力なリーダーシップなくしては、革命の持続的発展はないことを痛感していた。
そして、生まれたのが、レーニンの「大衆 ー 前衛」論であった。
前衛党は、彼が大衆を思い、愛するがゆえの、指導的役割の担い手として誕生したことは否定できない。
しかし、この考え方のなかに、既に「指導する前衛党」と、「遅れた民衆」とが分断されていく萌芽が、潜んでいたといってよい。
前衛党のリーダーたちには、民衆以上に民衆を知っているという自負があった。
それは、「理性のモノサシ」で人間を推し量り、理性の刃だけで社会の進歩を裁量しようとする、傲慢に裏打ちされた自負である。
その独善が、民衆蔑視の特権意識となり、遂には、「赤い貴族」といわれる、官僚たちを生み出すに至ることになる。
民衆への蔑視とは、徹底した不信感である。
そこにあるのは、人間は放っておけば悪い方向に向かうという、いわば"性悪説"ともいうべき発想といえよう。
それゆえに、スターリニズムに象徴されるように、徹底した管理下、監視下に民衆を置く、巨大な官僚支配のシステムがつくられ、さらに、"密告"など、民衆間の相互監視、相互不信のシステムがつくり上げられていったのである。
スターリンと少女(1936)
新聞に掲載されプロパガンダ利用された少女(エンゲルシナ・マルキゾワ)。2年後、両親は粛清され、彼女の名前も闇に葬られた。
人間を見失えば、イデオロギーが独り歩きする。
そして、イデオロギーの論理が優先し、権力で社会体制を抑え、維持することが第一の目的となってしまう。
あのレーニンさえも、プロレタリアートの勝利という、「階級的価値」のためには、裏切りや密告、テロさえも肯定しているのだ。
血の粛清を繰り返した独裁者スターリンの登場も、彼の性格の特異性もさることながら、そうした偏った人間観、歴史観に起因するところが大きいのである。
こんな話がある。
パベル・モロゾフという少年がいた。
彼は、自分の両親が富農であると密告し、そのため、両親はシベリア送りとなり、最終的に殺害された。
ところが、この"親を売った"少年は、英雄、愛国者として称讃され、銅像まで立てられたのである。
「イデオロギー」と「人間性」との倒錯である。
ロシア革命の後に、国外追放された哲学者のベルジャーエフは、こう指摘している。
ニコライ・ベルジャーエフ
【1874-1948】
「マルクス主義は、人格の内面的な、精神的な生活を考慮に入れていない。人格は、社会的な建築工事の役に立つ石にすぎず、社会の活動力の向けられている対象にすぎず、主体ではない」
後に、"ネジの理論"として猛威をふるう、誤った思考形態を、いち早く突いたのである。
"ネジの理論"とは、人間をネジに例えたスターリン時代の指導部の人間観である。
人間は奴隷のような存在で、好きなところにねじ込み、必要でなくなったら、外せばよいと考えたのだ。
また、1936年、つまり、革命から19年後にソ連を訪れた、フランスの作家アンドレ・ジッドは、ソ連の民衆ほど、深く強くヒューマニティーの感情を感じさせる民衆はいないと述べる一方、次のように警告している。
アンドレ・ジッド
【1869-1951】





