


今から100年前、1920年アントワープ五輪で、日本人初のメダリスト🥈となった熊谷一弥さん
は訴えました。

「世の中の出来事の全てをスポーツ精神で処理していれば、戦争など起きないだろう」


94番目、最後を飾る「日の丸」
が入場すると、各国の選手がトラックになだれ込んできました。

手を繋ぎ、肩を組んで、大騒ぎ。

「なんだ、これは!」
NHKアナウンサーの土門正夫さんは絶句しかけました。国ごとに整然と入ってくるはずでは…
眼前の光景を見据えて、懸命に実況を続けました。
放送を終え、詫びるつもりで放送センターに戻ると、大きな拍手で迎えられといいます。
(『東京五輪1964』)
選手が参加すること自体、一般的だったわけではなく、実際に東京五輪の一つ前の1960年ローマ五輪では、各国の旗手だけしか参加しませんでした。
1964年東京五輪では、閉会式への選手の参加は自由。大会運営者も何人の海外選手が参加するか事前には分からなかったそうです。

人類が"地球を故郷とする一つの民族"ならば、他者との違いにこそ、新たな学びと自身の発見
があるのではないでしょうか。
今日の選曲は、オリンピックということで、安室ちゃん…1964年の「五輪音頭」(三波春夫)と、2020年Ver. (石川さゆり)まで
ありましたが、全スルーでw、これ
「We Are The World」('85)
当日になると、見込みをはるかに越える4000人以上が参加しました。五輪全体の参加者数はおよそ5000人。
実に8割近い選手が閉会式に参加することになったのです。ローマ五輪は旗手のみだったので、その差は歴然です。
閉会式は各国の旗手が入場したあと、海外選手団が入場する予定でした。開催国日本の旗手は、旗手行進の最後尾。
4000人を超える海外選手団の入場で列が乱れ始め、日本選手団旗手と海外選手団の差が徐々に縮まっていきます。
そして一団に飲み込まれた瞬間 ― 日本の旗手が日の丸の旗とともに高々と担ぎ上げられたのです。
担がれた旗手の福井誠さんは、担がれながら見た光景を「スポーツの中に平和を感じた瞬間」と振り返っています。
そして日本旗手を担いだ一行の後に続く海外の選手たちも、性別や人種に関係なく腕を組んで笑顔をはじけさせ、中にはマラソンのユニホーム姿で走る選手もいるなど、実に和気あいあいな雰囲気で入場は進み、会場は大歓声に包まれました。
この入場方式は、東京五輪以降も受け継がれていくことになりました。1968年のメキシコ大会では閉会式を静粛な雰囲気を保とうと、選手の参加を1カ国あたり6人までと参加を制限。

それでも選手たちは東京五輪の時のように、腕を組んで走り回ったのです。東京五輪をきっかけに、選手たちの意思が自由な入場を作り上げたのかもしれません。こうして自由な入場は五輪閉会式のスタンダードになっていきました
(『NHK』)


🎓恩師
「国と国、民族と民族、宗教と宗教の間における偏狭な『差異へのこだわり』は、人間が克服すべき根本の病の一つといえる」




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