【周到な計略】
マッカーサーの意図は、いったい何にあったのか。このような不可解な戦争手段は、いったいどのような政治目的に基づいていたのか。彼には、一つの固定観念に基づく課題があった。
おそらく彼は、アメリカの軍事力をもって、今のうちにアジアにおける共産主義勢力を、叩き潰しておかねばならないと判断したにちがいない。これはまた、アメリカのアジア政策の底流の現れでもあった。
特に中華人民共和国の成立は、アメリカのアジア政策にとって脅威となった。マッカーサーは朝鮮戦争の拡大によって、アジアにおける共産主義との決戦を挑もうとしたのである。
マッカーサーが中国の幻の大軍に押されて、引き続き撤退を続けるならば、アメリカ本国は彼が待ちに待った中国東北部の爆撃を許可するにちがいない。
また、もしも彼が原爆の使用までも許されるようになれば、中国との戦争が起こり、さらに確実にソ連との戦争も起こるであろう。そうなると、朝鮮半島にいる国連軍は袋の鼠となってしまう。
中国東北部への爆撃を実行する前に、朝鮮から軍隊を引き揚げておく方が得策である。マッカーサーはこのような計算のもとに、徹底的な破壊をしては、撤退を急いでいたと思える。それは、野心に満ちた将軍の周到な用意ではなかったろうか。
【暴かれる欺瞞】
ここでマッカーサーが、そのアジア政策を強引に遂行するにあたって、トルーマンとの対立関係が大きな障害として表れてきた。
すなわち、マッカーサーは戦争を望んで、平和を望んでいなかった。トルーマンは戦争の拡大を決して望んでいなかったが、さりとて平和を望んでいたのでもない。
国連軍の撤退は、1951年(昭和26年)1月15日以後まったく止んだ。全部隊は廻れ右をしたが、敵はそこにはいなかった。
"朝鮮の中国兵はどこにいる"ー 英『デイリー・メール』の特派員は妙な電報を打った。人の海の大軍は幻と消え失せ、謎だけが残っていた。
それにもかかわらず、ワシントン政府は、なおも大軍の幻に踊っていたようだ。そして、国連に中国を侵略者とする提案を行い、国連総会はアメリカの提案を決議し、採択している。
ここまでくれば中国兵との戦闘が、どうしてもなければならぬ。全戦線にわたって、無数の小競り合いが報道され、厖大なる敵兵士の死傷の数字があげられるようになった。
"1月25日から2月9日までに、敵兵6万9,500名を殺傷した"と米『ニューヨーク・タイムズ』に載っている。すると1日平均約4,300名である。一個師団に近い兵力だ。史上最大の大激戦ということになる。連日、一個師団を殲滅するなどということは、軍事上の天才児の出現といわなければならない。
要するに、国連軍は中国の大軍を探し求めて北進しはじめたのである。敵を見つけるのは難しかったが、それでも敵は天文学的数字で殺されていた。司令部で描いた戦闘は、敵兵力少なくとも3万、多くて15万と推定されるという発表であった。
2月13日の『ニューヨーク・タイムズ』は、攻撃してきた敵の大軍に対して、空軍は600回近く出撃し"共産軍隊推定650名あまりを爆撃、銃撃、ナパーム弾攻撃で殺した"と報告している。こうなると、出撃平均1回ごとに敵の死者はわずかに1名あまりである。
大軍は幻であったのだ。誇大な発表と、その裏に潜む矛盾は、いつか収拾のつかないところまで来ていた。
【アメリカの亀裂】
トルーマンは3月、外交手段を通じて、戦争を終結させることを考え、戦乱に参加した国々の合意を得て、連合国の名で声明を発することを準備していた。
マッカーサーに対しては、大統領声明の発表が迫っているから、38度線を越える大作戦は考慮しないで、共産側の反響を待て、と通告してあった。
ところで、全面的解決を望まないマッカーサーは、またしても3月24日、無断で声明を発した。ー 中国軍はもはや勝利を得ることは不可能だから、講和を求むべきである。さもないと戦争は拡大し激化することになろう、と威嚇的なものであった。
前線司令部の強行策によって、トルーマンの慎重に用意された声明は中止された。そして、ワシントン政府とマッカーサーとの対立は鋭いものとなって、断絶に瀕した。
【最高司令官の失脚】
マッカーサーは依然として戦争の拡大を強引に望んでいることが明らかになった。トルーマンは述べている。「マッカーサーは、私に選択の余地を残させなかった。ー 私は、もはや彼の不服従を許すことはできない」
これに対して、マッカーサーにも言い分はあった。彼の国連軍最高司令官という地位は、国際的な官職である。彼は国連の合意によってのみ行動することを許されているのであって、必ずしもワシントンの命令に従うものではないと、折り折り表明していたのである。
ところが、追いかけるように決定的な事件が起きた。4月5日、共和党のマーチン議員が、マッカーサーからの書簡を公表したのである。マーチン議員は、トルーマンの朝鮮政策を常に批判する、共和党の下院指導者であった。
彼は自分の見解に対し、マッカーサーに意見を求めた。その手紙の返事が問題の書簡となったのである。マッカーサーは賛意を表し、共産主義との決戦をあくまで挑む彼の持論を支持するよう、共和党議員に訴えたのである。
もはや軍事問題ではなく、政治問題であった。それも外交問題ではなく、国内問題への軍人マッカーサーの干渉であった。
6日後、トルーマンはマッカーサーを解任、後任はリッジウェイ将軍であった。マッカーサーは、陸軍で52年間勤務し、最高の地位から一瞬にして去らねばならなかった。
【勝利なき休戦】
38度線を挟んで、奇妙な戦争は続いていた。だが、世界の平和勢力は、2月21日、ベルリンで開催された世界平和評議会(WCPP)第1回総会で、朝鮮戦争停止を決議して以来、日に日に強まっていた。
遂にソ連代表マリクから、6月23日、朝鮮停戦交渉の提案がなされた。戦場での純然たる軍事休戦の提案である。
戦争勃発1周年の2日前であっただけに、アメリカはソ連の降伏であるとして、心では歓迎した。この後、様々な交渉が続いた。
そして7月10日、開城で一応休戦会談が開かれるまでに漕ぎつけたのである。だが、両者の持ち出した条件は合わず、戦闘行為は依然、継続したままであった。
会談は、幾たびか断絶し、暫くして板門店で再開されるといったぐあいで、捕虜問題やその他、複雑な問題で難航を続け、やっと1953年(昭和28年)7月27日、北朝鮮、中国の2司令官と国連最高司令官とのあいだに、軍事停戦に関する協定(朝鮮休戦協定)が成立し、はじめて戦闘は止んだのであった。最初の会談から丸2年かかっている。
完
『人間革命』池田大作
第4、5巻より抜粋
(資料:『日本占領外交の回想』W.シーボルド、『秘史朝鮮戦争』I.F.ストーン)
✏️あとがき
以上、朝鮮戦争を振り返らせて頂きました。
ここに、もうひとつ、同時進行していた「対日(サンフランシスコ)平和条約」「日米安全保障条約」締結の経緯を考えると、ソ連と中国を排斥したいアメリカの意図が見えてきます。
アメリカは、朝鮮戦争の休戦を望まないわけではなかったですが、それ以上に平和を恐れたのでした。
その裏にあるのは、日本が全ての国々と全面講和せずに、中国、ソ連を除外したアメリカとの単独講和を結ぶこと。
"丸腰になった日本を保護するという名目の下、アジア戦略の最前線基地とする"というアメリカの思惑は見事に成就したといってよいでしょう。
3年1か月にわたる残虐戦となった朝鮮戦争。アジアの人々の犠牲の上に、アメリカは理想を打ち立てました。その本質を暴くならば、人間の生命を犠牲に、自らの欲望を満たす魔性の素行だったのです。
一方、現代にまで続く朝鮮民族の不幸と宿命を思う時…
仏典
「世皆正に背き、人悉く悪に帰す」
かつては生命尊厳の仏教を日本に伝来させた朝鮮。今や正法の全く無きこと、まさに「正に背き」という所以か。
これからの未来、末弟妹である日本国民の成すべきことは…











