近年のパワハラ、モラハラ、DV等の事件その危険は私たちの日々と隣り合わせに存在します。
これは、今に始まったことではなく、身に影が寄り添うように、人類史が始まった時以来の宿命だと思います。
人が人を支配しようとする魔性
近代日本史にも、その悲劇が起こりました
極東軍事裁判(東京裁判)
【1946 - 1948】
1948年11月12日…最後に、東条英機が被告席に立った。
数年前、彼は この場所、即ち かつての大本営陸軍部で、全国民、全軍に号令したのである。
今、その場所で、彼は絞首刑の宣告を聞いたのであった。
東条英機
軍服姿の彼は、首を軽く左に曲げて天井を見上げている。
絞首刑と聞いた時、彼の口の端は、ニヤリと崩れたようであった。
A級戦犯25人の断罪は終わった。
東京裁判
この判決は、直ちに電波に乗って、全世界に報道された。
ドイツの戦争犯罪人に対するニュルンベルクの国際軍事裁判は、既に終結していた。
今、東京裁判の終結を知って、世界の人々は、第二次世界大戦の最後の幕が、事実上降りたのを見たのである。
ニュルンベルク裁判
この2つの裁判は、敗戦国の戦争責任者を審判するという、世界史上にも例のないものであった。
勝者が敗者の戦争責任を、個人の責任として追求したことはなかったのである。
敗戦国の指導者たちは、戦勝国の裁きによって、個人としての戦争責任を糾弾され、処罰されたのである。
その第一歩は、ニュルンベルク裁判のナチス指導者たちであり、東京裁判における日本の戦争指導者が、それに続いた。
この裁判は、実に不思議な裁判といわなければならない。
戦勝国は戦勝者として、無条件に合法化された権力を持っていたはずである。
戦犯を、裁判なしで獄にもつなげただろうし、射殺することも可能だったはずである。
しかし、連合国は、即決裁判の方式を取らずに、11カ国の協議によって"厳正にして正義の裁判"を、わざわざ試みようとしたのである。
この点からするならば、戦勝国は被征服と、その国民を罰する絶対権力を放棄したかのようにも見える。
だが、それならば国際司法裁判所か、中立国が裁判の衝に当たるべきであったが、アメリカを主体とする戦勝国の判事が裁くという方式を取ったということは、表面上の繕いとは別な"本心"を現していたといえる。
では、裁判を敢えて行った連合国の目的というものは、いったい何であったのか。
それは、ただ、戦前の十数年にわたる日本の暗黒政治に対する、一つのデモンストレーション(実演)にあったといえよう。
靖国神社
神格化した天皇、神話的な国体、神兵の集団たる軍部の暴虐、さらに無謀な国家経営の実態、これらに踊った、かつての権力者や指導者の権威と権力を剥奪してみせることによって、目隠しされてきた国民の目を開き、さらに欧米の民主主義的な公正裁判のモデル・ページェント(模範劇)を公開することによって、日本国民の洗脳を行おうとしたのではなかろうか。
それは、かなり成功したといえる。しかし、公正な裁判としては失敗だったであろう。
東京裁判の被告たちは、主要戦争犯罪人、つまり、A級戦犯と呼ばれた。BC級戦犯を生んだ、元凶たちを断罪しようとしたのである。
こうした直接手を下さなかった元凶たちを断罪する立証は困難であったためか、それ以前は、すべてを国家の責任として、個人の責任が問われたことはなかった。
第一、従来の国際法や慣例にも、このような元凶を罰する条文は、なかったのである。
東京裁判の法律的な根拠は、厳密にいえば、まことに脆弱なものであったといえる。
連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーの名において、特別宣言なる「極東国際軍事裁判所条例」を作成し、これを最高の条文とした。
ダグラス・マッカーサー
当時のアメリカ占領軍のシーボルド外交局長は、開廷の日には傍聴者として出席した。
しかし、彼の人間としての良心は、彼をして以後、裁判の終結をみるまで、法廷に姿を見せることを許さなかった。
彼は回想録に、こう記している。
「私は、起訴状のなかに述べられた、忌まわしい事件の多くを、よく知っていたけれども、本能的に私は、全体として裁判をやったこと自体が誤りであったと感じた。
被告たちの行動が、善悪という哲学的観念から見て、いかに嫌悪を感じさせ、また非難すべきものであったとしても、当時としては、国際法に照らして犯罪ではなかったような行為のために、勝者が敗者を裁判するというような理論には、私は賛成できなかったのだ。
この演出された法廷の行事が終わるまで、私は不安に襲われ、再び法廷には戻らなかった」
占領軍の外交局長という要人でさえ、法廷を避けざるを得なかったような裁判であったわけである。
護送されるA級戦犯
こうした根本的な、深刻な矛盾をはらんだまま、2年半にわたる裁判は強行されたのである。
時には、一種の"茶番劇"に見えることもあった。
ともあれ、大がかりな軍事裁判劇は、世界の注目のなかで、大真面目にロングランを続けたのであった。
つづく
大国が小国を支配するという、あってはならない復讐劇が法廷の名のもと、公然と行われたのが東京裁判でした。
A級戦犯は、当時の軍人の名誉とされた自害や銃殺すら遂げられず、見せしめと屈辱の絞首刑に処されました。
さらに悲惨なのは、日本の民衆でした。アメリカの占領下にあって、衣食住すら乏しく、その日の生活に懸命で、他人の運命にかかわっている余裕などありませんでした。
さらに歴史をさかのぼると、この日本民族に降りかかった不幸の原因が見えてきます。
それは、倒幕の建前として担ぎ出された天皇制。明治政府の勃興で起きた廃仏毀釈令。生命尊厳の仏教を弾圧し、神道に盲進した国家、国民の末路…
次回は、皇国・日本軍の所業が法廷の場で暴かれていきます。
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