🎓恩師
"自分の心が変わり、使命感が変われば、すべてが変わっていく。人のために、と行動していくなかに、最も光り輝いていく生命の軌道がある"


丘の上にある稚内公園に立ち寄った。

この公園には、海を背景に、女性のブロンズ像を挟むようにして、高さ8メートルほどの2本の石の柱が立っていた。「氷雪の門」である。

樺太(現サハリン)で亡くなった人々への慰霊と、いまは異国となった樺太への望郷の年を込めて建てられた碑である。

この碑の近くには、終戦直後、集団自殺した若き女性電話交換手の慰霊碑「九人の乙女の碑」があった。


-1945年(昭和20年)8月20日の早朝、樺太の真岡で電話交換手をしていた彼女たちは、いよいよ真岡にソ連軍が向かったという知らせを受信した。

終戦を迎え、ソ連軍の進行が予想されたことから、既に女性の緊急疎開の命令が出されていた。しかし、彼女たちは、自ら交換台にとどまった。

"電話が機能しなくなったら、大混乱をきたしてしまう。絶対に電話を止めるわけにはいかない!"

ほどなく、ソ連の軍艦が港に入ってきた。艦砲射撃が始まり、兵士が続々と上陸してきた。街には銃声が轟き、絶叫がこだました。

だが、最後まで職場を死守して、交換業務を続けたのである。

彼女たちは、覚悟を決めていた。

"敵に辱めを受けるなら、自ら命を絶とう!"

電話回線に、交換手の最後の声が響いた。

「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」

9人の交換手は、用意していた青酸カリを仰いで、自決したのである。

碑には、この最後の言葉も刻まれていた。あまりにも痛ましい話である。


沖縄の「ひめゆりの塔」を訪れた時のことが、ありありと思い出された。

「ひめゆりの塔」は、沖縄戦で負傷者の看護にあたり、犠牲となった、沖縄県立第一高等女学校と沖縄師範学校女子部の生徒らを合祀した慰霊塔である。

かつての日本の南と北で、戦争によって、乙女たちの尊い命が奪われる惨事が起こったのだ。


"こんな惨禍を二度と繰り返してはならない。女性は、常に戦争の最大の被害者であった。女性の幸福なくして、人類の平和はない。女性が輝けば、家庭も、地域も、社会も輝く。ゆえに、女性が主役となる「女性の世紀」に、しなくてはならない"


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