先日、施術にいらしたemlkoさんのブログ。

 

 ↓

 

おなかが歓声を上げた

 

 

毎回、かぎりなく優しい腸もみ。

丁寧にもてなしていただく感覚に、気持ちがほぐれていく。

 

まず、おなかに優しくご挨拶をしてくださる。

その瞬間、おなかから「わぁ」と歓声が上がった。

 

ことばを使わずに会話するすごさ。

おなかたちが真野さんとおしゃべりしている。

というよりも、わたしのこと一方的に言いつけてるじゃん。

その様子を、うとうとしながら感じていた


手から腸へ、さまざまな情報が伝わります。

腸と宿主さんに敬意を表し、

丁寧さを心がけているのですが、

それってやはり伝わっているのですねお願い

 

 

家族や身内に話すときと、第三者にしゃべるとき、

おなじ事でも相手が変わることで

話し方や話す内容(脚色具合?)が

変わるときがあります。

 

 

ご本人(emlkoさん)と腸の関係と、

わたくしとemlkoさんの腸との関係は

どちらも“仲よしさん”であっても

全くおなじではないのでしょね。

 

 

親には言いづらいけど、

クラスの友人には言える、みたいな

間柄に近いのかな?と想像してみたり。

 

 

めちゃオモロイ!(≒興味深い)と感じたのは

 

おなかたちが、「これやん、これやん!」とざわめいている。

というのも、最近、「腸のお作法」のほうで真野さんとお会いしている。

 

楽しいお稽古の時間だけれど、おなかたちから、

「???」のサインが出ていたっぽい。

 

真野さんがすぐそこにいらっしゃるのに、腸もみじゃあない。

そのことに、違和感があったのだろう。

 

あー、わたしって、それぞれのパーツで人格がちがうみたい。

ということに鑑みて、わたしのチーム全員でハーモニーを奏でるには、と考える。

 

それぞれのパーツで人格がちがう感じ。

わかる、わかります。

 

 

妄想劇場ですが、腸と脳、ほかの臓器たち

(心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓、脾臓、胃、膀胱etc…)

には、それぞれにキャラクター・個性があり、

それぞれなにかしら感じているのではないかと。

 

 

さらには、脳以外の場所でも

記憶をしているのではないかと。

 

 

現代医学では説明できない、

トンデモ話または荒唐無稽な話かもしれません。

(説明も証明もできないし)

 

 

でもね。

過去の腸もみで痛い経験をした方は

お腹に触れた瞬間、その記憶を想起します。

お腹(身体)が緊張してきます。

 

 

脳が「痛かった」を覚えているのでしょうが、

わたくし的には腸自身が痛かった記憶を覚えていて、

それを脳に伝えているように感じます。

 

 

腸たちは痛かった場所を明確に覚えています。

この繊細なまでの記憶力、脳の領域では

ないように感じるのですょ。

 

 

仮に腸が記憶できるのであれば、ほかの臓器たちも

おなじような記憶システムがあってもおかしくないです。

 

 

身体たちの記憶は痛みに限ったことではなくて。

楽しかった記憶、喜んだ記憶、哀しい記憶もきっとある。

 

 

脳だけでなく、臓器だけでなく、細胞の1つ1つに

記憶は刻まれているのではないでしょうか。

 

 

(細胞のどこに?って言われても困るけど…💧)

新陳代謝が起きるとき、記憶も次の細胞に

バトンタッチしている氣がします。

 

  ↑

得意の妄想癖が炸裂&暴走ですね。

(なにひとつ証明できないもんなァ)

 

 

話が逸れましたが、お腹さんたちが

悲鳴ではなく歓声をあげてくれたのなら

セラピスト冥利に尽きます。

 

こちらこそ毎度腸と会話をさせてくださり

ありがとうございます♪なのです。

 

 

本日も皆さまの健康と安全と幸せを願います。

 

 

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