おはようございます。養腸®家・セラピストのmanoです。
先日、あるお客さまを施術いたしました。
施術中に、ふとわたくしの中に浮き出た
想いがございました。それは、
「わたし(←お客さまご自身のことです)、
こんなになってしまって可哀そうでしょ!」
同情を引くような印象。
あくまでも、お身体から伝わってくる印象です。
お客さまご自身が「 」内をつぶやいたりはしておりません。
ただ、、、ごじぶん(お客さまご本人)のことを
ちっとも大切にされてないかんじがプンプンいたしますです。
思い込みはアカンことは存じております。
施術をするときは極力ニュートラル、
先入観なしですることを常に努めております。
ニュートラルでやって、ふと「可哀そうデショ」と
「大切にしていない」のが浮かんできたです。
おそらく、わたくしの潜在意識アンテナが
キャッチしたのではないかしら。
ほんとうかどうかなんて、確かめられまへん。
仮に直接問いただして確かめたとしても、
お客さまが無意識下でのみ思ってたり、
「大切にしていないこと」を認めていなかったら
肯定されることはありませんから~。
身体に関するアンテナ情報、逆のパターンもありますのよ。
施術していて、
ご本人からとても大事にしてもらっている身体さんもいます。
宿主に信頼してもらえてうれしそうな身体さんも(います)。
ご本人の意思と関係なく自律と自立ができている身体さんも。
こういうお身体さんたちの施術はウキウキいたします。
ありゃ。
この大切している・していないの関係って
人間関係、パートナー関係そのものね・・・。
相手(身体もしくはパートナー)を大切にしなければ
相手からも大切にしてもらませぬ。
大切にしていないのに「わたしって可哀そうデショ」はお門違い。
身体は単なる器ではありませぬ。
じぶんにとっての相棒です。
大事にすればするほど、身体も応えてくれます。
話があっちこっちに飛んで恐縮ですが、
昔はなにかしらをフワ~ンと漠然と感じ取るくらいでした。
最初のお客さまの霊、じゃなかった例だと
「なんだか、このお客さまを施術するのイヤだな・・・」
って雰囲氣を感じ取るくらい。
それ以上でもそれ以下でもなく。
イヤだなと感じた理由、今ならわかります。
ネガティブ、もしくはマイナスのエネルギーを出すだけでなく、
こちらのエネルギーをダ○ソンの掃除機ばりにギュンギュン
吸引する エナジーヴァンパイア(エナジーモンスター)さん だから。
ニャーォ!
こんなネコちゃんヴァンパイアなら可愛いのに^^
エナジーヴァンパイアなんて用語、そもそも存じませんでした。
「なんか、やだ」くらいの感覚。
霊感あるあるに喩えるなら(わたくしの霊感はゼロ以下!)、
これまでは
「あの部屋の角、なんかイヤなかんじ」
くらいの感覚値、レベルだったのが、いつの間にか
「あの部屋の角に、右肩をケガして血を流しながら
恨めしそうにこちらをじっと見つめる老婆がいる!
しかも足元濡れてるしぃ(;O;)」
くらいまで明瞭に視えるようになったかんじ。
※あくまでも喩えでイメージです
霊感じゃなかったら、味覚に喩えましょう。
味覚がするどくなったかんじです。
(最初から喩えそれでええやん)
おそらく、長いこと施術をしてきて、
施術の感度が鋭くなったってことです。
特別な修行とかしてなくても、鋭くなるんですねぇ。
または、じぶんの身体と向き合い、整ってきたことで
感じるチカラが自然と高まったのかもですね。
じぶんの身体がノイズだらけだと、感じられるものが
感じれらなくなりますから。
なぁんて、ここまでドヤドヤ感丸出しで書いていて
実はぜ~んぶただの思い込みだったりして(/ω\)
(そんなオチはないでしょ・・・)
ごじぶんの身体はごじぶんのものであって、
ごじぶんのものだけにあらずです。
ご先祖さまたちのおかげで「今」「ここ」に存在可能な存在。
だから、むやみに否定したり、傷つけるようなこと
大事しない行為はしないに限ります。
大事に、大切に慈しみながら遣いきる―。
それが今生を生きるわたくしたちに与えられたお役目です。
どの身体も 可哀そう なんてことはありません。
ただその状態があるだけです。
可哀そう と思ったり決めつけた瞬間から
可哀そうな物語は始まってしまいます。
「じぶんで決める」は必要。
「じぶんで決めつけすぎる」のは不要です。
可哀そうと思うくらいなら、じぶんに与えられた
肉体と魂を大事に育て慈しまれてください。
大事にしたとき、歓ぶひと、うれしくなるひとは増えても
困るひと、哀しむひとは一人とて出ませんから~。
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