以前、テレビ(BSプレミアム)で放送された

“レアめし”という番組で、刑務所めし のことを

取り上げておりました。

 

 

明治時代の受刑者さんのごはん。

ごはんの割合、麦が6割、白米4割。

 

どんぶり山盛り×3回で、合計7合のごはんを

1日で食べていたそうです。

※最も重労働の受刑者で、全員ではないと思われます

 

 

おかずは「さつま芋2切れ」「沢庵」「しょう油」

※しょう油もおかずの部類に入っていました

 

 

7合です。

7合。

ひとりで、1日で、7合。

今のわたくしたちからすると、

トンデモナイ量です。

 

 

しかも麦(大麦ね)は、殻付きのまま。

相当噛むことを要されたでしょうね。

 

 

麦には食物繊維が相当含まれております。

繊維の量だけで見たら、玄米より多かったハズ。

水溶性の繊維も穀物類にしては豊富に含まれているし。

 

 

ビタミンCはさつまいもと沢庵でソコソコは摂れていたかな。

ほかの栄養素はこのごはんでかなり賄われたと予想できます。

 

 

昔の方の胃腸は、現代のわたくしたちより

丈夫だったといわれています。

だからこの量を食べられたのではないか、と。

 

 

宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」でも

画像はお借りしました。

赤い線はわたくしが加工して入れました。

 

 

1日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ・・・」

 

これは賢治が実際に食べていた量ではなく、

これだけの玄米を食べたい という意味で書いております。

(雨ニモ負ケズ の最後は ソウイフモノニワタシハナリタイ 

(≒願望)で終わっておりますゆえ^^)

 

 

賢治は小さいころに大病をして、身体はけっして

つよくなかったと思われます。

そんな賢治ですから、玄米は賢治の胃腸には負担が大きかったのでは。

 

 

でもね、当時のひとたちは、4合くらい食べていたようです。

(普通の方が食べられるくらいの量のご飯を食べてみたい、

という賢治の願いの投影でもあったのかも)

 

 

昭和30年ころまでの日本人の食事は、

主食モリモリと副食ちょっぴりが主流でした。

 

 

旧日本軍の「軍隊調理法」では1日にひとりあたり

6合が基本だったらしい(←最終的な情報ソース、エビデンスが

取れなかったので、確定ではなく“らしい”にとどめました)

 

 

軍人さんですしね、身体いっぱい使いますから

ありっちゃあアリでしょう。

 

 

それと、江戸時代の武士のお給料はお米で換算されていました。

計算する際のごはんの量は、1日5合換算だと言います。

 

 

と、戦後10年くらいまでは、相当量の穀物を食べていた日本人。

(戦時中や戦後すぐは食料難ですから、この限りではないでしょう)

 

 

受刑者さんだけが特別食べていた、とは言い難いようですね。

(受刑者さんが特別待遇なワケもないでしょうし)

 

 

受刑者さんに限らず、軍人さんも武士さんも

どなたも日常的に身体をめっちゃ使うからこそ

(これだけの量を食べる)がベースではありますが、

お米と切っても切れない国民であることがうかがい知れます。

 

 

 

まったく関係ありませんが、宮沢賢治の“賢治”を

入力しようとkenjiをローマ字変換すると、

最初に出てくるのは「ケンジ」

わたくしにとってのケンジは、やっぱり宮沢じゃなくて

こっちのケンジ💗

癒される~笑

ヒロイン度ハンパなし^^

 

 

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