己が動き、表情、所作・・・氣にしております。
らせん美 を学びはじめる前から
所作や言葉選びは常々氣にしていました。
(じぶんなりに、ですが)
学び始めてから、氣にかける深さが変わりました。
あ。「氣にかける」 のは、 氣にしぃ ではなく、
意識する の意味です。
意識しないとスグ忘れてしまいますが(鳥頭なので)~。
(目指すは、無意識のうちに意識できるレヴェル)
意識しているとき&意識しはじめてからは、
周りの人たち(知人、知らないひと関わらず)の
言動がとても氣になっています(変化時あるある)
立ち姿、歩く姿(猫背とか)
座っているときの姿勢(&脚の開き)
しゃべり方とか
手の動かし方
物を取るしぐさ、
物を置くときまで意識があるかないか
扉の締め方、
それぞれから発せられる音も!
雑な動きには雑な音(ノイズ)がきものです。
動きがクリーンだ(≒美しくなる)と、音も清らかになります。
(わたくしにはそのように感じます)
周波数が合わないノイズが多いラジオって、
本当に聞きたい音源が聞き取りづらいですよね。
あんなかんじが身体や言葉から発せられているように
感じるんですわ。。
洗練されてない じゃなく とにかくクリーンじゃない。
雑味とか濁りがあるかんじ。
雑な動きからノイズは出ています。
おぼろげながら、それがわかってきました。
それがどうした!
だからどうした!
と言われたらそれまでです(/ω\)
それ以上でもそれ以下でもありません。
世の中は、クリアな意識と動きができる方と
ノイズだらけの方がいるということです。
どっちが優れているとか優劣の問題ではありません。
どっちを選んでも選択の自由です。
わたくし自身は、ノイズを発する存在になるより
その場にいるだけで、クリアーな心地にさせて
くれるひとが好きですし、じぶんもそっち(NO・ノイジー)を
目指すべ! と思っております。
とはいえ、今はまだ冷静と情熱の間ならぬ
クリアとノイズの狭間で、ゆらゆらと海月のように
揺蕩っているmanoです。
クリアなじぶんを目指して、雑味をとっぱらうべく、
今日もせっせとプルプルバブル(体操)^^