最愛の父② | おいしい*かわいい*たのしい〜akitchenマノコロCafe*

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おいしい、かわいい、楽しい事が大好きな5人家族の母ちゃん。おうちごはん、お弁当、スイーツ、パンをせっせと作るアキッチンの日記です☆

こんにちは。

*akitchen*です。

父が亡くなり1ヶ月。
癌が発見され最後が来るまでの短くて長いお話の続きです。

最愛の父①はこちらから⇨最愛の父①



私は旦那さんに連絡して、明日、子供たちと札幌に来るように伝えました。

持っていくものは?

まのたんが前に書いた旅行日記を持ってきて。
父に読んで聞かせよう。

他には?



もふくを…



入力すらしたくない文字でした。



その日は自宅に帰りました。
何を食べ、何を話したのかイマイチ覚えていません。
ただ、母が積み立てていた葬儀屋さんに、真っ暗な部屋で小さく座って電話していました。

「はい。。       はい。   。。   」


したくない電話をしたのに、相手は冷たい話し方だったそうです。


今、その様な話し方はかなりこたえます。
心も体も疲れているときに、こういうのはキツイ。

調べたくないけど、夜中に目が覚めたので、ネットで葬儀屋さんを探しました。

良さそうな所があったので、翌朝、母に話してみたら、資料請求だけでもしておいてと言われました。

ネットでポチっと資料請求すると、すぐに電話が来ました。そして、父の病院に資料を持ってきてくれると。。


まだ、父は生きているのに。
そんな話はしたくない。
でも、しなきゃいけない。
したくない。
したくない。
したくない。


とても、親切な対応でした。
知らない事、初めての事を優しく教えて頂けました。

知りたくないし話したくないけど、
知らなきゃいけない、話さなきゃいけない内容。

父の病室に戻り、父は寝ていましたが、周りでたくさん話をしました。


父は話せないけど、話は聞けてると思ったので

話の最後には必ず
「ね〜ぱぱ〜」と付けて。


この日から母は病室に寝泊まりする準備をしてきました。

夕方、旦那さんと子供たち。そして、妹の旦那さんも東京から駆けつけてくれました。

病室が一気に賑やかになりました。

それぞれが父の手を握り、寝ている父に話しかけました。


看護師さんに廊下に呼ばれました。

今晩は家族室を用意しましので、ご家族全員お泊まりしていただいた方がいいと思います。


理由は分かりました。


前の病院でもらった、最後を迎えるにあたり、どの様な状態になっていくのかのパンフレットを読んでいましたから。

父は明らかに寝ている時間が増え、
この日は一度も会話をしていませんでした。
いびきのようなものをするようになりました。
息を吸い、吐いた後、ゴロゴロと喉が鳴るようになっていました。


夜ご飯はコンビニ弁当を食べました。
私達は病室で。父に話しかけながら。

父の呼吸の間隔は長くなっていました。

息を吸い、吐く。
。。。。。

パパ!

息吸うの忘れてるよ!!


フゴフゴフゴフゴ

もう、吸うの忘れちゃダメよ!


ゴロゴロゴロゴロ



息を吸うのを忘れる事が多くなりました。


その度に、母と妹と私は
ほらっ!
すって!
せーーーのっ!!


フゴフゴフゴフゴ

掛け声は増えていきました。


夜9時半頃、子供たちが、じぃじにおやすみを言いに病室に来ました。
その直前、父は急に目を開けました!
「じぃじ〜おやすみ言いに来たよ〜」
「はっ!じぃじが起きた!目を覚ました!父ちゃんとAGさん呼んでくる!」

また、目を閉じて、息を吐き。。。

「じぃじ!息吸って!」
ベッドの周りに集まった家族全員で叫びました。


何度も何度も

泣きながら、大声で、時に怒鳴ったり。
とにかく息をして!!!









息、普通になったよ。

息吸うの忘れなくなったわ。


普通にスースーゴロゴロしてるね。

そのまま、子供たちは家族室に行き、寝る事になり、私達は病室のソファで座っていました。

夜中に看護師さんが来て、血圧も呼吸も、落ち着いていますので、お部屋で寝ても大丈夫ですよ。


母はソファで寝る事になっていたので、少しでも寝かせてあげようと、私達姉妹は家族室に行き仮眠を取りました。


翌朝、父の呼吸は落ち着いたままでした。
血圧は少し下がっていましたが、大丈夫そう。

子供たちは、まっすぐ病院に来たので、荷物も山のようでした。まだ、通勤ラッシュにはならない時間だ。一度実家に帰る事にしました。

また、今晩も病院に泊まるであろうと、順番にシャワーを浴び、ご飯を炊いて、おにぎりにしようと。



母から
戻ってきて。
今すぐ。


髪も乾かさず、化粧もせず車に駆け込み、通話状態にしてみんなで呼びかけました。


生憎の通勤ラッシュ。

早く

早く



病院に着いた時には父は息を引き取っていました。
3分前に。


あと3分早ければ。

どうして、家に帰ろうと思ったのか。


車の中で、
せっかちな父の
「待ってらんないよ〜」
と言う笑顔が見えました。



みんながいると、呼び止められて、息吸わないと怒られるもんね。



葬儀は親族のみの家族葬で執り行いました。

お花が綺麗に咲いている邸宅での葬儀でした。

帰宅してから3時間くらいで、がむしゃらにお通夜振る舞いも作りました。

父の大好きだった
カツや唐揚げ。
そして、ずっと食べたがっていた
てりってりのハンバーグを。

長い間単身赴任で、あまり私の作った料理を食べさせてあげれなかった父。
何のためのお料理で、何のための料理研究家なのか。

泣きすぎて顔がしわしわになりました。

こんなことなら、埼玉の病院に大豆のトマト煮込みハンバーグじゃなくて、てりってりのハンバーグ作っていけばよかった。。


たくさん泣いて、たくさん笑って、たくさん思い出話をしました。

我が家らしい葬儀でした。



単身赴任で離れて暮らしていたので、まだ、父は埼玉にいるような気がします。


いや、埼玉より近くにいるのかもしれませんね。



長文、最後までお付き合いいただきありがとうございました。


我が家に起きた、この3カ月の短くて長い話でした。



天国とはどういうところですか?


いい所なんだろうね〜
だって、行った人はみんな帰って来ないのだから。