10年前のあの日に | 美骨整体yogaMANO

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10年前

整体師として独立!
生まれてはじめての独立。

自分で生きてみようと決めたのは
覚悟があった。 

かっこよく聞こえるけど
そんなんじゃなく。 


どうせ死ぬなら
好きな事でもしてやろう

どうせ全員死ぬんだから
何かにしがみつくのは辞めよう
こんな絶望から始まった。

その何かは、会社や保険や生活やお金 
それらは生きていくために絶対必要だと
感じていた。 
ずっとそう教えられてきたから

学校に行かなきゃ社会では生きていけない

受験やテストや宿題を乗り越えた先の
社会は
全く私には 似合わないし 
全てに嫌気がさして 
全てが真っ暗な世界に感じていた

死んだように生きてるみたいだった。 

辞めたら死ぬ
社会では生きていけない 
保険を払わないと 定年した後 きっと生きていけない
ずっとそう、たたき込まれていた。

だから ずっとはたらくんだ。
嫌だけど、これが人生で
こうして歳をとっていくんだ。 


といつも通り失業中でアルバイトをして
整体の学校卒業間近に起きた 

東北大震災 


大きな地震に少し驚きながら
普通に車を運転して街に出ていた。


家に帰ると 
震災の大きさに驚いた。 

沢山の人が亡くなった。 

そして家も車も ペットも 財産全てが
流されていた。 


こんなに簡単に 

全てが失われるなんて 


何にしがみついているんだろう。 


何を大事に持っているんだろう。


どうせ全て失う 

必ず死ぬ 

だから 私は もう再就職を辞めた。 



誰かのために生きる 

これが、、 人の生きる道 

それがあの震災への御供養に感じた。
一緒に悲しむことはできる
自粛して忍ぶことはできる。 

でも本当の御供養は
私が私らしく生きる事 
そんな気がした。 

1人が立ち上がれば 
それが連鎖する 

沈黙を破るように何かが壊れた


自分で抱えてるものなんて脆い 


だから先に手放す 


頑張る事を手放す 


何も持っていることなんて出来ないから。 


胸を痛めたあの震災 


集合意識を炙り出された日本。 



あの戦争で日本は全てを失い絶望した
沢山の方がなくなり家族を失い大切な人や思い出や
仕事もなんにもなくなった。
でも、日本人は立ち上がった
信じて信じて 繋がった
何かを信じるって強いのよ。


だから今は辛いけど 
それがずっと続かない 

必ず
人々は また 笑顔を取り戻す 
東北大震災へ向けての言葉。

美和さんの言葉が重い
そして有り難い 

きっとまた日本は立ち上がる日が来る。 

そう思ったあの時 

絶望は希望 


だから 底辺みたいな生き方でも 

凄く凄く生きてる感じがする 今!


成功とか失敗なんて 
どうでも良い

どんな風に繋がって 
どんな風に今だけを生きてくかだって
気づいた 

あの大きな出来事で

私は今

凄く幸せニコニコ