難解な課題が 許す事。なのだそうです。
人を憎んで自分自身苦しんでいる人も沢山いるのですが
わたし自身
ずっと許せない人がいました。
しかも沢山いました。 
ヨガを学び 実践するうちに 数年かけて
許すということをし続けてきました。
許すとは緩むこと。と実業家の斎藤一人さんが
仰っていましたが なぜか許すと長年悩んでいた 肩こりと月経前症候群がなくなりました。
緩むのは神経だったのかもしれません。
許さない!と緊張していた神経が緩み。
少しずつ受け入れていく。
他人を許しているようで自分が緩んでいく。
紅葉が少し始まっていてびっくり。
公園から外に出ると非常に暑かったのですが
ヨガ中
心地よい風が 文字通り私たちを包むように吹いていて 本当に気持ちよかった
ご参加くださった方も
『気持ちよかった〜』と 仰っていて
とても心地よい日。
お盆の始まり。
瞑想や祈りは 非科学的ではなく
もう科学として ご自身の幸福度をあげる事がわかっています。
瞑想は精神的安定 人間関係やお仕事 沢山の良い効果がありますが
瞑想中はもう全く 効果を期待する余地なくただ
この瞬間を生きている 心地よさに慕っている感覚です。
なので物事の幸、不幸
良い悪いでの判断ではなく
自分の底から溢れる自分と繋がるのみです。
そしてよく言われてきた事が、【結果は期待しない】
あの有名なアップル創始者スティブジョブス。
ヨガの本を持ち歩き瞑想をしていたと言われてます。結果色んな成果を上げられていますが
本人は結果を期待せず
目の前の事に取り組んでいたのではないでしょうか。
かくゆう私も YouTubeを始めてみたりインスタで写真をパシャパシャあげたりFacebookやこのブログも
結果的な仕事の成果を期待しているのではなく
ただ楽しく自分の不器用ながらの表現なのです。
この非生産性の表現こそが 自分の人生を構築させてくれているだけのこと。
らしいのです。。
非生産性 = 悪
ではないということです。
家で仕事も出来ますが
敢えて大好きなカフェで美味しい珈琲を飲みながら
仕事をするのは
それこそが自身の表現。
生産性を多く求められてきた時代から
非生産性なのに自分の好きを知り 誰かと比べず表現(とまでいかなくても)その行為自体が 物凄く意義がある時代へと
移りゆく 変化にただただ 毎日幸福を感じています。
こんな、、時代が来るなんて。
子どもの頃から
日記を書き 絵を書き 作詞作曲?して歌い踊り
写真を撮る。
それは自分の中でただ湧き出て行っていたことが
今は
各自の表現として配信までしていける。
下手だけど
そんなことはどうでも良い
自分が どうしたいかに気づくのだから。
瞑想に近いように感じる。

