先日、たまたまカップラーメンの「チキンラーメンどんぶり」を食する機会があったのだが、チキンラーメンに独特のしょっぱ味がかなりマイルドになっていて、なんだか物足りない。
「しばらく袋のチキンラーメンは食べていなかったが、そっちもこんな感じになっちゃっているのか?」
昨夜、嫁が義母と次女とともに旅行へ出かけ不在だったこともあって、袋のチキンラーメンを買ってきた。
まいばすけっとで3個まとめ買いで300円ということだったのだが、今はそんなに高くなってるんだ?
1個だと119円。
5個がまとまったもので300円ちょいぐらいのイメージだったのだがなぁ……。
ともかく買って帰宅して、さっそくお湯をかけて食したのだが、お湯の量が少なめだったこともあってかしょっぱさはビンビン。
これよ、これ。
そんなチキンラーメンが、カップでマイルド化されたのもわからないではない。
「塩分過多」は健康の大敵という考えが一般化された今の風潮に合わせたということなんだろう。
だけど私にしてみれば、チキンラーメンを食すというのは、あの過剰なしょっぱさを求めてのことなのであり、健康を意識した減塩なんてまったく嬉しくもなんともない。
袋麺のほうで元の味を守っているということは(マイナーチェンジはしているのかもしれないが、普段から食しているわけではないのでわからない)、私のように「健康こそ正義」「減塩第一」といった時世に背を向けてでも旧来の味を求める人間が、少なからずいるのだろう。
私の思うところの保守とグローバリズムの関係は、袋麺のチキンラーメンとカップのチキンラーメンどんぶりの関係とほぼイコールだ。
伝統や慣習によって作り上げられた、ある意味プリミティブな特色は、そのままであり続けてほしい。
世界基準とはかけ離れていても、いや、かけ離れているからこそ愛おしい。
だが、グローバルな世界においては、万人に合わせるために、とんがった特色はどんどん削り落とされていく。
そんな世界のいったいどこがおもしろいというのだ。
※競輪も独自の進化があるからおもしろい。スポーツ化、競技化なんてしてしまえば、なんらおもしろくなくなってしまう。