「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」

 

 安部さんによる「戦後70年談話」のこのフレーズはとても重要で、見方を変えれば他国に対して「もう許せ」と許容を求めることでもある。

 

 戦争を仕掛けた側が「許し」を求めることを、左翼連中は「傲慢」と言うのだろうか?

 しかしそれは、たとえばクルド人など不法滞在外国人に対して「対話」だの「融和」だの「共生」だのを求める彼らの言説とは矛盾する。

 

 日本に「戦犯」としての償いを求め続けるというのなら、不法滞在という罪を犯した連中も、その罪を徹底的に償わせなければなるまい。

 まあ左翼やら石破にしてみれば、日本を、そして安倍を悪者にすることがすべてであって、それが日々の言動と矛盾しようが関係ないのだろう。

 

 

 だが「未来永劫、罪を償え」というのは恐ろしい思想だ。

 

 その状態を覆すには、「戦争に勝つ」ことしかない。

 私たちの世代はまだ、戦後教育の影響で「日本の戦争犯罪」というものが、真にはそう思っていなくとも、知識としてアタマの中にある。

 だが、これから先の世代はそうした考えがどんどん薄れていくわけで、それなのに「贖罪を免れ得ない」なんてことになれば、「じゃあ戦争やって勝つしかないじゃないか」と考えても仕方があるまい。

 相手を屈服させるしか現状変更できる道がないのなら、そうするしかない。

 

 武力戦争ではなくとも、日本に贖罪を求める勢力に対しては敵意を持って臨むことにもなるだろう。

 

 謝罪を繰り返し要求することは、すなわち、将来の諍いの芽を育てていることでもあるのだ。

 

 

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