日本のメディアにおいて「ポピュリズム」という言葉は、「大衆迎合」といった悪い意味で使われることがほとんどだ。

 減税を主張する政治家に対して、批判の文脈で「ポピュリズムだ」といったのは立憲民主党の枝野幸男だったっけ?

 

 だけど、そもそも政治家とは民衆の願いを反映するのが仕事なのだ。

 国家観などは必要だが、それに沿う形で民衆に寄り添う。

 

 トランプはその好例だ。

 国家観として「MAGA」を掲げて、国民の生活をいかに豊かにするか。

 その一点で突き進んでいる。

 

 成否はまだわからないけれど、これこそが正しい政治家の在り方だと私は信じる。

 

 

 日本においては、そんなまっとうなポピュリズムが批判の的にされる一方で、バカげた偽のポピュリズムが蔓延している。

 

 選択的夫婦別姓やらLGBT理解増進やら、SDGsやら、多文化共生やら。

 

 まるでそれが民の声であるかのように持ち上げられて、国家観もなにも関係なく推進しようとする。

 だけど、そんなものは一部の左派言論人たちが声高に叫んでいるだけで、一般の国民にとってはどうでもいいどころかむしろ害悪でしかなかったりもする。

 

 こんなバカげたポピュリズムこそ撤廃すべきなのに、なんで与党も野党もそっちばかりに走るのか。

 左派言論人の声に乗っかることで「国民のために働いているつもり」にでもなっているのだろうか。

 

 そんな政治家たちは、みんな挽肉になればいい。

 

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