最初に「罪悪感なし」というフレーズを聞いたのは、カップヌードルかなにかのCMだったと記憶している。

 

 ふだんから食事のカロリーとかまったく気にしていない私からすれば、まったくピンとこなかった。

 だが、それ以降もちょくちょくこのフレーズを耳にするということは、多くの人たちがこれに共感しているということなのだろう。

 

 ところで「罪悪感」とはなにに対してのものなのか。

 カロリー摂取過剰となることに「罪悪感」があるということだろうが、これはいったい誰に対しての「罪」なのかといえば、他人ではなく、自分自身に対してということなんだろう。

 

 この感覚というのは外国人にはあまりないような気がする。

 罪とは神との契約における概念であって、暴飲暴食といった類のことは自己管理、自己責任の範疇という捉え方をするのではないかなあ。

 

 「自分自身への罪」という感覚のおおもとにあるのは、おそらく「道」の精神だ。

 武士道ならぬダイエット道。

 自分の選んだその道を外れることはどうにも心地が悪く、だからこそなにがなんでも守りたい。

 それに反することは「道」に対する罪という感覚だ。

 

 私にしても、食に関して罪悪感を抱くことはないけれど、たとえばこのブログ。

 いったん書き続けると決めた以上、読者数とかは関係なく、書かないことには落ち着かず、心安らかに就寝することもできない。いうなればそれが私の「ブログ道」である(自分で書いてて恥ずかしっ!)。

 

 どんな形であれ、江戸の武士道精神が今の世にも受け継がれている。

 

 

 

※競輪予想noteもやると決めた以上は、睡眠時間を削ってでもS級以上の全レースを毎日確認して、自分なりに納得のいく予想をしたい。これが私の競輪予想道だ。