ロリコンという言葉の定義はあいまいで、対象とする相手の年齢についても論者それぞれに異なっていたりする。
便宜上、第二次性徴後の10代女子を好む者をロリコン、それ以前の女児にを愛好する者をペドフィリアとした場合、前者については決して変態性愛ではなく、本能的なものなんじゃないかな、なんて思ったりもする。
よく「女性は強い男性に惹かれる」なんてことをいって、財力や筋力、生命力、あるいはルックスなどいろんな意味において秀でた男性が優先的に女性から選ばれることになる。
これは「よりよい子孫を残したい」という生物的本能に根差したものであろう。
そしてこれは男性も同じこと。
基本的に「強い女性」「秀でた女性」に惹かれ、優先的に選ぶことになる。
女性が男性を選ぶのと同様に「頭がいい」「運動ができる」「ルックスがいい」など、やはりいろいろな基準があるわけだが、その基準の一つに「若い」というのも男女ともにある。
若いほうが精子も卵子もフレッシュで、優秀な子が産まれやすい。
動植物においてはふつうに言われることであり、同じ生物である人間でもきっとそれは変わらないハズだ。
互いに若くして出産したほうが、多産が可能になるというメリットもある。
そうしてみれば男女ともに、第二次性徴が済んだばかりの児童を好むというのは生物的にごく自然なことであって、大半の人々は、今の時代の倫理観でそれを抑えているだけなのではないか。
だが、第二次性徴以前の子を好むというのは生殖活動とは関係ない。
そうすると、それを愛好するというのは、本能ではないなにかしらの理由があるハズだ。
これはペドフィリアに限ったことではなく、生殖行為の範疇から外れたセックスのすべてが生物的本能ではない、一種の知性によって衝動が起こされたものなのではないか。
たとえば獣姦などというといかにもプリミティブで、原始的本能に突き動かされたようにも感じられるが、しかしふつうに馬や羊を見ただけで、勃起したり女陰を濡らす人間はいない。
「羊とヤッたら気持ちいいんじゃないか」「馬に挿入されたら…」といった想像力がまず働かないことには、実際にそれを行うまでには至らない。
これはLGBTQなるものも同じこと。
生殖に関係のない性が生物としての本能であるわけがない。
生来からこうした傾向にある者などは極めて稀であり、大半のLGBTQを自称する者たちは、外部からなにかしらの知識が与えられ、自分なりにもいろいろな想像力を働かせた結果として、その手の性向に至るのだ。
※なんかごちゃごちゃとわけのわからないことになってしまったが、とりあえず競輪しよ?
