所要があってライブでは見られなかったR-1グランプリをようやくTVerで見たので、とりあえず所感を。

 

 当日は、ネタバレを避けて21時ジャストぐらいに帰宅したのだが、居間のテレビに流れていたENGEIグランドスラムでいきなりお見送り芸人しんいちが「優勝した友田オレ」と歌い出して、ネットを避けていた意味がなくなった。

 

 友田オレねえ。

 ネタはおもしろいとは思うものの、人としての部分がわからない(ネタからも見えてこない)。まだ若いのにその年齢すら感じさせない。そうなると王者といわれても賞讃と批判、どちらの気持ちも起こらないんだよなあ。

 寄席の半ばに出てくれば「おもしろい」と楽しめるが、大トリを務めるとなると、その寄席にはチケットを買ってまで行きたくないかな、って感覚。

 しんいちなら卑屈な人間性がにじみ出ているし、ZAZYなら「芯から変な奴なんだろうなあ」とか、街裏ぴんくの何物をも圧倒する熱量とか、そういうのが見えてこないとファンもアンチも生まれない。そこの部分が芸人として決定的に足りないように思う。

 歌が上手いのが特徴であり個性ではあるのだろうが、そこで勝負されても、という気持ちもある。

 歌うまのぐっさん(山口智充)もおもしろくはあるけれど、やっぱり「器用だな」というのが先に立って、心底から入り込んで「おもしろい」とはなりにくい。

 

 別にテレビのバラエティや平場のトークで上手に立ち回れとかそういうことを言ってるわけじゃなくってね。

 たとえば落語にしても、古典落語においては多くの噺家が同じネタを演じるわけだが、そこにそれぞれの個性が加わることでおもしろい、おもしろくないの差が出てくる。

 かように話芸においては、人間味が重要なのだと私は考える。

 

 M-1連覇の令和ロマンに私がいまひとつ乗り切れないのも、同じようなところに起因する。

 ネタはおもしろいし、ケムリのほうは人の好さそうな雰囲気がダダ洩れしているものの、くるまの人間性がどうもネタからは見えてこないのだ。

「上手だなあ」としか感じられない。

 コンビとしてケムリ推しならそれでもいいのだが、主役はあくまでもくるまというネタの構成になっているし。

 本を出したりいろいろな発言をすることで、いわゆる「ニン」が広がったところもあるのだろうが、それすら本質ではないつくられたものに感じられてしまう。

 

 

 「人間味が出ていない」と言われがちなジャルジャルですら互いのいたずら坊主的なパーソナリティは垣間見えるわけで、それがないというのは芸人として永く愛されるという意味においては結構致命的だと思う。

 また「人間味に関係のないネタ」としても、そのジャルジャルの『国名分けっこ』は一つの極みに到達した名作であり、友田オレや令和ロマンのネタがそれに比肩するかとなると、はなはだ疑問なのだ。

 

つづく

 

次回「ネタ時間4分の弊害」

 

 

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