選択的夫婦別姓、石破茂首相「先延ばししていい問題でない」 - 日本経済新聞
石破が選択的夫婦別姓を急ぐことに対して「予算を早期成立させるために立憲民主党と手を握ろうとしていて、その際の“手土産”として選択的夫婦別姓を成立させようとしている」なんて観測があって、マジふざけんなと。
自民党の選挙結果がふるわなかったことのツケを払うため、なんていうくだらない理由で、日本の社会風俗を弄るんじゃない。
だいたい、選択的夫婦別姓などとわざわざ法制化などせずとも、高市早苗がそうであるように旧姓使用で政治家にもなれるのだ。
現行法の下でたいていのことが旧姓でできるのであれば、わざわざ新法など作らずとも、現行法に足りない部分があるならばそこを修正するだけでいい。
私は「夫婦別姓」に反対しているわけではない。
「選択的」と妙な条件を付けていることが気に食わないのであって、それだったらむしろ「完全夫婦別姓」を法制化したほうがいい。
で、その際には子供の氏姓をどうするかについても、きちんと法制化しておく。
そうやってキッチリ区分けしたほうが、変な紛れがなくていい。
「選択的」なんていってゴチャつかせれば、行政の手間が増えるだけだし、新法が制定されればそこの抜け穴をついたよからぬことを企むヤツらもきっと出てくる。
具体的にどんな悪用法があるか、私には思いつかないものの、法制化を強調している連中のなかには、そういったことを考えているヤツがきっといる。
そもそも「夫婦別姓」を本気で望んでいる人というのはどのくらいいるのだろうか。
そんなに苗字って大事かい?
1000年以上も続く名家であれば、苗字を残すことに意味もあろうが、たいていの人間は明治時代から姓を持った先祖から数えて6~7代目ぐらいのものだろう。
小中高大社会人とあだ名が変わるように、苗字や呼ばれ方なんてどうだっていいじゃないか。
そういえば高校の同級生で吉原(よしはら)さんという女子がいて、彼女は「よしわらさん」と呼ばれる度に「よしはらです!」と強い口調で訂正していたが、それはまあわかる。
当時、三重の田舎住まいで落語にもさほどなじみのなかった私は、「よしわら」呼びを嫌う理由がなんとなくでしか理解できていなかったのだが、今となっては「そりゃあ女子高生ならそうなるわなあ」と。
そういう特殊な例はあるけれども、たいていの人間にとって呼び名なんて、他人との識別さえつけばなんでもいいだろうよ。
一家ごとに決まった名前をつけるのも、そもそもは個人の尊重なんて話ではなく、行政管理がしやすいからということだろう。
管理というと悪いふうにしか感じないおバカさんも多いようだが、それによって行政サービスも行いやすくなるわけで、社会生活を営む上ではむしろ利点のほうが多いハズ。
また選択的夫婦別姓だとなって、たとえば佐藤さん(男)と加藤さん(女)が結婚するときに、「私は加藤姓のままでなければ結婚しません」なんて言い出したら、佐藤さんの親族は「そんな面倒くさいことを言う子はヤメとけ」ってなるんじゃないのかなあ。
逆に「夫婦別姓なら喜んで結婚する」なんていうのはあまり想像できない。
そうすると選択的夫婦別姓というのは非婚者の増加&出生率の低下を招くことにもなりかねず、その意味からもくだらないことだと思うぞ?