昨夜、電車に乗っているときに、空気の乾燥もあって異様に喉が渇いたのさ。
で、たまたま出先でいただいたみかんを持っていたので、車内が空いていたこともあって食べてみたら、これがもう旨いのなんの。
喉がからっからに乾いた状態で食べるみかんって、こんなに旨いんだ。
思い返せば、これまでの人生で、本当に喉が渇いた状態でみかんを食べたことがなかった。
みかんを食べるシチュエーションとしては、食後のデザートとか、部屋で手持無沙汰のときのおやつ代わりとか。
昔話で「みかんで渇きを癒した」などといった記述はこれまでに何度か見たことがあって、「喉が渇いたなら水やお茶のほうがいいだろ」と思っていたのだが、いやいや。全然そんなことはない。
喉が渇いたときのみかんってこんなに最強だったんだ。
缶飲料など飲むよりもよほどいい。
缶コーヒーやら炭酸飲料なんて比較対象にもならないし、変な話、みかんジュースよりもみかんの実物を食べたほうがいい。
今となっては「喉が渇いたらみかん」という風習が一般的になればいいとすら思っている。
缶飲料の自販機の半分ぐらいが「みかん販売機」になればいい。
ジュースからみかんへ。
こういった日常的な慣習の変化が、じつは国民健康促進、あるいは産業構造の変革などにおいても大きなきっかけになったりするのかもしれない。
たしか愛媛だったか、「水道の蛇口をひねるとみかんジュースが出てくる」なんて話も聞いたことがあるけれど、それよりもみかんの現物を配るほうがよほどいい。
まずは愛媛や和歌山などみかん生産都市のどこかで、テストケースとしてやってくれないものかしら?
問題は食べた後のゴミの始末で、昨夜は結局自宅まで、剥いたみかんの皮を持ち帰ることになったのだが、こういうのをポイと捨てられるゴミ箱も増やさなければなるまい。
いつまでも「オウム事件などテロへの警戒」とか言ってゴミ箱をないままにしている場合じゃないぞ?
※競輪は和歌山記念初日ですよ!
