一億層中流といいながら社会全体で成長を続けてきた日本社会がおかしくなったのは、異文化の個人や法人が入り込んできたからだ。
外国人にとっては日本という国も国民も、ともに成長していこうというような対象ではなく、収奪するものでしかない。
そんな侵略者たちが入り込むためにやったのは、日本式の労働状況を破壊することだった。
「終身雇用」や「年功序列」という社会的保険の意味合いを備えたシステムを「発展を阻害するもの」だと糾弾し、それを崩すことで日本人がみんなで蓄えてきた富を奪っていった。
規制緩和や構造改革という外国からの要求に対して、まるでそれがいいことであるかのように喧伝し、政治に反映させてきた政治家やマスコミ、知識人たちの罪は重い。
国全体の発展を数字だけでみた時には、規制緩和などの政策は正解だったのかもしれないが、それは大雑把にいえば「国民の幸せを奪って国富という形の数字に付け替える行為」にすぎなかった。
かくして日本人労働者の幸福も富も搾取されるシステムができあがってしまった。
そんななかで、会社の命にのみ従ってマジメに働くことなどは、いかにバカバカしいことか。
それでも「給料分ぐらいは働かなきゃ申し訳ない」と思ってしまうのが日本人の伝統的精神文化であり、それは美徳でもあるのだが、現状においてそんなことを言っているような社会状況にないということは、しっかり認識しておくべきだろう。
携わる仕事で手を抜くのは自分の気持ちが腐ってしまいそうだから、やる以上はしっかりやるべきだが、会社の仕事によって拘束される時間は極力減らすべきだ。
だから「正月休みは長いほうがいい」し、「有給休暇は完全消化すべき」。新型コロナのときのようなサボれる口実があればどんどんそれも活用していきたい。
会社の仕事などサボれるだけサボって(今でもワンマン社長が率いる個人経営的な会社はその限りではないが)、余裕のできた時間を余暇に使ったり、あるいは副業に使ったりするべきなのだ。
そうして余暇や副業において、「やればやっただけ成果を得られる」ことを個人的に行っていく。
個人の力はあるのだから、それを企業に提供するのではなく、自分のために使うことを個々それぞれに考えるのだ。
こうしたやり方こそが、現状の日本人にとっての最適な働き方ではないかと考えている。
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