「商品にならないから始末」悪徳ブリーダーの手口 法改正後も犬猫を"平気で捨て、殺す"止まらず | ペット | 東洋経済オンライン
「繁殖犬はもらい手もいないし、エサ代もかかるので始末するのがブリーダーの責任。だから殺した」というブリーダーの言い分を見て「そりゃあそうだろう」と思ってしまう私は冷血漢なのか。
私がペットを飼っていたのはまだ小学校に上がる前の実家でのこと。
エルとテツという2頭の雑種犬で、エルは雪の日にはしゃいで走り回っているうちに近くの線路で電車に轢かれて。テツはなにやら寄生虫で死んだと聞いている。
以降、我が家では「死ぬから哀しい」との理由でペットを飼うことはなくなった。
結婚後も妻は動物嫌いというわけでもないが、飼う手間やらノミやら雑菌やらが苦手だし、子供たちがアレルギーになったりしても困るからということで、ペットを飼おうという話題が出たことは一度もない。
私としても、ペットがいたら楽しそうだなあとは思うものの、やっぱり手間がかかることを考えると億劫だ。
そもそも犬や猫をペットショップで「買う」ということになじめない。
私が子供のころとなるともう半生記も前になるのだから、そのときの常識を持ち出してもしょうがないのだが、ペットを店で買ってくるなんていうのは町内で1軒あるかないかのお金持ちの家だけ。
たいていはもらってくるか拾ってくるものだった。
「買う」ことが当たり前になれば、そこには当然ビジネスが発生しているわけで、売り手が儲け最優先で考えることを非難するのはあまりにも手前勝手というか、無責任すぎる。
商品にならないならば処分するしかなかろう。
どこかに寄贈するったってもらってくれるところはそうそうないだろうし。
「自然死するまで看取れ」というのは理想論だろうが、ブリーダーも慈善事業でやっているわけではない。
そこまで強要して商売として成り立たなくなれば、今よりもっと犬猫の値段は高くなるわけだが、それでいいってこと?
「トイプードル1匹、100万円でも買います!」といい実際にその金額を払おうという人だけが、このブリーダーを批判することができるんじゃないかな。
ああでも、私としても、たとえばコンビニの廃棄弁当なんて話を聞くと不快に思うのだから、同程度にはペット殺しを不快に感じるのかな。ペットに縁のない人生を送ってきたから、実感でいうとむしろ弁当廃棄のほうが不快だったりはするのだが。
「ペットの命と食材をいっしょにするな」という声に対しては「そんな大事な命なら売り買いするな」と答えておく。
私の基準でいうと、現状においてはどっちも「商材」ということで大差はない。
ただ最近はコンビニ弁当を買うこともとんとなくなったし、ペットにも縁のない生活を送ってきたから「コンビニ弁当も、ペット売買という風潮もなくなってしまえばいい」という立場から、弁当廃棄にもペット殺しにも批判票を投じよう。
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