Xで「ネトウヨは自分で何も考えられず、無批判に愛国心を主張する」みたいな左派の人のポストを見かけて、だけどどうなんだろうか。

 それって違うと思うんですね。

 

 だって「愛国の典型」なんて世の中に流通していないんだから。

 「保守だからこそ岸田自民は許せん」などと考えるのが右派であって、反政権なら蓮舫だろうが山本太郎だろうが誰でもウエルカムなんていうお気楽な考え方はしていない。

 

 いまのメディアなんかを見ていても「ポリコレ」だの「グローバルスタンダード」だの、もっと言えば概念だけの平和とか、自由とか平等とか。

 そういう反保守的な考えこそが「常識」としてまかり通っている。

 

 そうすると愛国を主張するには、自分なりに情報を取りに行って、自分なりの考えを構築するしかない。

 それは誰か保守論客の説話に乗っかるだけのことなのかもしれないけれど、その場合でも自分でその内容を吟味して、選択することが必要となる。

 

 そしてその時、ひとくちに保守といってもみんなそれぞれ微妙に考えが違っているから、誰かの考えに乗っかるにしても、誰のどの部分に信頼を寄せるかをいちいち比較判断しなければならない。

 

 だから左派が言うところのネトウヨの人間というのは、その主張をするために、いろいろ考えることがあるわけですよ。

 共通認識としての右派思想というものがないから、場合によっては独自にエビデンスも探さなければならない。

「日本って素晴らしい」って言うためには、どこが素晴らしいのか、根拠となる事物を見つけないことにはそれもできない。

 

 むしろ考えていないのは左派のほうで、世間でいわれる「いいコト」にそのまま乗っかっていればいい。

 そんで機械的思考で権力批判をしておけば一丁上がりなんだからお気楽なもんだ。

 

 実際、今の左派で自分なりの独自の考えを持ってる人間なんているのかい?

 それでも昔はマルクスを研究するだとか、学術的なアプローチもあったんだろうが、ソ連崩壊以降はそれも通用しなくなって、ふんわりとした平和やら平等やら自由やらを、そのままなぞっているだけの人間ばかりというのが、私から見た左派の印象だ。

 

 実生活や自分なりの哲学などと照らし合わせるようなことをしないまま、ふわふわとした「いいコト」を言ってるだけ。

 それが今の左派とされる人々の実態だと思うぞ?