Xからのメールって、どういう基準でお薦めのポストをチョイスしているのだろう。

 

 フォローしている金属バット関係や暇空茜、あとは日本保守党関係のものはわかるのだが、フォローしていない上念司とか、竹内久美子のポストもなぜか毎度のように送られてくる。

 そのくせ、ふだんのタイムラインではほとんど見かけなくて、まあどっちでもいいし、ふだん自分から見に行かないポストも、知見を広げる意味ではいいんだけどもね。

 

 竹内久美子の天皇家崇拝ポストは純粋に見ていて気持ちがいい。

 

 上念については、思想自体は私とかなり異なるのだが、それでも「こういうのも一種の保守なんだよなあ」と、自分の思考のバランスを取るというか、偏りすぎないようにするという点で意味がないわけではない。

 

 上念司と百田尚樹がなぜいがみあっているのか、原因はいまだによくわかっていないし、調べるつもりもないのだが、一応はどっちも保守を標榜しているわけでしょ?

 それがなんで互いに口汚くののしり合っているのか。

 

 結局、保守というものに確固たる定義がないというか、多くの人に広く共通する保守思想というのが成り立ち難いということがあるのではないか。

 

 たとえば上念のいう保守とは「現在の自由主義経済システム」を守ることにある。

 百田の保守とは、日本の伝統文化や伝統的生活ということになるのかな。もうちょっとぼんやりとした「自分にとって快適な生活」を守りたいということのようにも見えるが。

 竹内久美子のいう保守は「天皇家を中心とした日本の社会体制」を守りたいということなのかな。

 

 まあいずれも、しっかり著作などを読んだわけではないので細かなところまではよくわからないのだが、ともかくそれぞれにとって「保守」の意味が異なっているということは肌感覚としてわかる。

 

 国家として一つの思想を築ひな形として築いてきた明治維新から大東亜戦争の時期もあって、左翼が批判する保守思想とはこれを指すのだろう。

 だが、そういった保守思想を墨守しようという人間は、現在ではほとんどいないわけで、そうすると左翼の保守批判も的外れなものとなり議論が成立しない。

 

 ネトウヨはどうかといえば、これは百田の保守に近いのかな。自分の今の生活の安寧を望むから、それと異なる外国の生活習慣など日本に入れたくないといって嫌韓嫌中嫌クルドを主張する。

 

 私の保守は昭和の常識+国体としての天皇の在り方+今の生活の保守ということになるのかなあ。

 成分は同じでも、その配合の割合が異なるという人もいるのだろう。

 

 日本と諸外国ではさらに保守の意味合いは異なる。

 たぶん世界共通の保守思想というのは、できたとしてもかなり哲学的な、それもかなり形而上的なものになるのだろう。

 

 そりゃあ百田と上念はいがみ合うし、保守分裂も仕方がないわなあ、と思ったりもする。