ふと気づいた。

たいていの宗教なんてものは、その時々の人間の考え出したものである。

 

そんなものよりも、万年単位で紡いできた伝統文化、感性といったもののほうが、優れているに決まっている。

世界で唯一、旧石器時代から定住する民族である日本人には、そんな優れたものが沁みついている。

「お天道様はみている」というような、自然に由来した道徳心。

きちんと理論立てて体系化はなされていなくとも、宗教なんぞに頼る必要がないだけの精神性が社会全体に備わっているのだ。

 

あらゆる宗教の教義と似たようなことは、何千年もの歴史のなかで、きっと一度は考えられたことだろう。

そのうえで日本人はその考えを通り過ぎてきた。

 

とはいえ、「だから日本人はすごい」とかいう話でもない。

 

たとえばアフリカやらアマゾンの奥地の部落にいきなりキリスト教を布教しようとしても、相手にされないのと同じこと。

日本は先進国のようなふりをしていても、内心の奥底は未開のままなのだ。

 

だから海外から宗教(仏教も含む)が入ってきても、たいていは心動かされることがない。

熱心な信徒になるのは一部に限られ、「道具」として便利なら使おうか、というぐらいのことになる。

仏教は葬式のマニュアル本、キリスト教はパーティグッズといった程度の「生活を彩る道具」ぐらいにしか感じていないのだ。