ここにきて「サシハラスメント」なんて言葉を見かけるようになって、心底くだらないなあ、と。
ちょっと見た感じだと、発端は指原莉乃が松本人志の件について批判的なコメントを発したことに対して「だったらお前はどうなんだ」ということだったようだが、なんだろうなあ。
指原が少女にキスしたり、身体の成長を問うたりしていたことを「性加害」「「小児虐待」と思うなら、そのように指摘したらいい。
犯罪行為とまで思わないにしても「嫌がらせ」という日本語が明確にあるのだから、そう言えばいい。
だけど批判する側もそこまで強い断罪の意識がなく、好意から発していることだというのも理解しているから「ハラスメント」なんてぼんやりとごまかすようなことを言う。
つい先日も、どこぞの町長が「頭ぽんぽん」したことが「セクハラだ」とかどうとか。
“99のセクハラ”町長辞職へ…会見で号泣「兄に怒られた」頭ポンポン「間違いだった」 (tv-asahi.co.jp)
追及する側も「痴漢行為」とか「嫌がらせ」とまでいうのはどこか憚られるから「セクハラ」などという。
この件についての実態は知らないので、あくまでも一般論としての「頭ぽんぽん」についての私の考えは以下。
やられた側はすごく嫌なんだけど、相手が性的な意識や悪意をもってやっているわけではないことはニュアンスでわかる。
だから「痴漢」や「性加害」とまでは言い難い。
それでも嫌なものは嫌で、だけど単に「嫌がらせ」と言ってしまうと、一般的な正当性を欠く個人的な主張と捉えられ、逆切れされるかもしれない。
だから正当性を担保するために「セクハラ」と言おう……そんな感じなんじゃないの?
だけどさあ、やっぱりそれって個人的な問題なのさ。
嫌なら嫌と言うべきで、行為自体を「セクハラ」とまるで一般的な悪事のようにレッテル貼りするのは違う。
「頭ぽんぽん」だって「お尻を触る」だって、今の常識ではよくないこととされているし、私自身も女性に対してやるつもりはないが、そういう接触行為自体が絶対的に悪いとは思わない。
別に1回触っただけでどうこうなるわけでもなし、「それは嫌だ」「じゃあもうしません」という行為の積み重ねで、まっとうな人間関係が築かれるんじゃないかと思うんだ。
これは世に「ハラスメント」と言われるほとんどのことに当てはまるように思う。
悪気なしにやっていたことを、ある日突然「ハラスメントだ!」と批判されても、言われた側は困惑するばかりだろう。
部下に対する説教にしても、上司はいろいろと試行錯誤をしているに違いなく、それを文句を言うことなく受け入れておいて、ある日突然「パワハラだ」なんて言われたんじゃあ、まともな人間関係は築けない。
「嫌だ」といったことで厳しい立場に立たされることもあるかもしれないが、それはそれで「自分に非はなかったのか」と己を見直す機会にもなる。
そうしたことは、自分の成長にもつながることになり、決してマイナスばかりではない。
己を見直した結果、どうしても許容できないならば改めてその気持ちを訴え出るか、それでも自分の考えが受け入れられないのであれば、そこは自分に合っていないのだと悟って転職なりをすればいい。
ややこしいのは「ハラスメント」といわれる中にも、明かな犯罪的行為が含まれることで、犯罪なら犯罪だと言えばいいのに、そこも逆に曖昧にしている。
「犯罪だ」と告発した際に警察やら裁判所やらに「犯罪とまでは言えない」と判断されるかもしれないからハラスメントといってぼやかしているのかもしれないが、それも何か潔くないというか。
だったら「嫌だ」「嫌がらせだ」と言えばいいし、そこまでの気持ちがないのなら受け入れることも一つの人生経験だ。
「ハラスメント」という言葉がはびこってしまったことで、自分を安全圏に置きながら相手を貶めるためだけに「ハラスメント」と言っているケースも増加しているように感じる。
それって、とてもズルいことだと思うんだ。
相手を非難するならばそれなりの熟慮や覚悟を持つべきなのだ。
面と向かって文句を言うことができない関係性であっても、たとえば会社でのことであれば出社拒否というような形で気持ちを表明することはできる。
自分の仕事や名誉については100%の安全を担保しつつ、相手だけを悪者にしたいという態度は、どうにも私の性に合わないんだなあ。
冒頭の「サシハラスメント」の話に戻ると、私の考えは「指原も松本も、他人がハラスメントだなんだと騒ぎ立てるようなことじゃなく、当事者同士(子供ならその親)でなんとかせい」ということに尽きる。