「大きな政府」「小さな政府」ということを社会の授業で教わったのは中学の時だっけ? 高校?

 ともかく、それを聞いた時にはシンプルに「政府が全部やってくれるなら、そのほうがいいじゃん」と思ったものだった。

 

 で、それ以来、なんとなく「日本は大きな政府側」と思い込んでいたのだが、どうやらそういうことでもないらしい。

日本は「小さな政府」か「大きな政府」か | 公益社団法人 日本経済研究センター (jcer.or.jp)

 

 上記事を見たところだと、部分部分で大きな政府だったり小さな政府だったりするキメラのような状態ってことのようだ。

 

 で、そうやって方針が定まっていないことでイビツになっているところへ、よからぬ連中が入り込んで、いわゆる公金チューチューをしている。

 

 2004年に暴対法が施行された当時、よく耳にしたのが「これまでのシノギが厳しくなった暴力団が、今後は“高齢者”と“福祉”を食いものにしようとしている」という話だった。

 

 それ以来、私としては「高齢者施設とか福祉系NPOは胡散臭い」とずっと思って来たのだが、そんなふんわりとした印象に、しっかりとフレームを描き、明示化してくれたのが一昨年からの暇空茜氏の活動だ。

 

 暇空氏が明らかにしたものは、私がなんとなくで思っていたことよりもずっと大規模であり、暴力団と政治が結託……というか同じ利益を追求するもの同士がカオス化したようなことになっている、というのが実際のところのようだ。

 

 政治家と暴力団のつながりなんてものはそれこそ昔から言われていたことだし、実際、信念を持たない政治家ほどチョロいものはないからね。

 それなりの建前さえあれば、票とカネのために何だってする。

 

 で、その建前に使われるのが、いわゆるポリコレだったりグローバル思想だったりするわけで、そこに「国家や民草を善き方向へ導こう」なんて考えはさらさらない。

 

 安倍さんは、現実と折り合いをつけるために流される部分がなかったわけではないけれど、それでも奥底にはしっかりとした政治信念があったからまだ、日本の政治がそれなりの体を為していた。

 

 しかし、安倍さんが亡くなったことで、すべての政治が汚濁してしまった。

 「今の自民党にもまともな保守政治家はいる」というが、それでも岸田をトップに仰いで唯々諾々と従っているだけじゃあ他のポリシーなき自民政治家と大差はない。

 いくらご立派なことを言ったって、自民党を変えることができないんなら意味はない。

 

 マジで今の日本政治は最悪の状況に陥りつつある。

 

 政治のほうですぐに大きな変革を起こすとなると現実味は薄く、私なりに現実味のある理想の展開を考えてみるに、まずは維新が自民と連立を組んで政権に入り、そこで大阪でやったような行政システムの浄化を実現してもらい、それをやっている間に、次の世代を任せられる政治家が出てくるっていうような感じなのかなあ。

 

 維新自体は信頼しきれない部分もあるのだが、人気取りの意味でも、散々言ってきた政治の浄化に関してはやってくれるんじゃないかと淡い期待は抱いているので。

 

 で、それをやったところでお役御免、他の志の高い政治家が誕生するという、かなり細い綱渡りだが、それぐらいしか日本の政治状況がよくなる道筋が思いつかない。