もう1週間ぐらい前になるのか。

 朝日新聞が『エビデンスがないとダメですか?』 なんて記事を出したって話だけを見かけて、「なにをアホなことを」と思っていたのだが、今しがた気になってどんな記事なのか確認したら、そーいう内容の本を書いた人のインタビュー記事だったのか。

 だったらギリ、セーフなのかな?

 

「エビデンス」がないと駄目ですか? 数値がすくい取れない真理とは:朝日新聞デジタル (asahi.com)

 

 著者は精神分析学の教授というから理系ではなく文系なのね。

 

村上靖彦 (現象学者) - Wikipedia

 

 要は文学研究などと大差ない。どこまでいっても数値化できない(できるかもしれないが、その時にはほぼゼロから学問体系をつくり上げなければならない困難な作業となるであろう)内容の研究をしているのなら、そりゃあそんなことも言うだろう。

 だけど研究者が「エビデンスは必要か?」なんていうのは矛盾しているようにも思う。

 この人、自分の研究が後の研究者にとってのエビデンスになるとか、そういう志はないんだろうか。

 まあ著書や論文を読んだわけではないので、深く言及することは避けるけどさ。

 

 ただ、この著者の考えなのか朝日新聞の記者の考えなのかはわからんけど、いろんなものをごちゃまぜにして、事の真実をごまかしている感はどうしても拭えない。

 

 データに依らない個人の体験というのは当然あるさ。

 たとえば多くの人が好きな食べ物が自分の好みに合わないからといって、「エビデンスがない」なんて非難される言われがないのは当然だ。

 昔ながらの常識や慣習、風習なんてものもそれにあたるだろう。

 だが、それに対して「おまえの好みはおかしい!」と批判するような論調がたまにSNSなどで見られるのは事実であり、そういうことに対して「エビデンスがないとダメですか?」といいたくなる気持ちはわかる。

 

 まあそんな言い方はせずとも「うるせえ、俺の勝手だろ!」で済む話なんだけど、この時に「エビデンスがない」と言われた側もまた、自分の正当性を何かしらのエビデンスをもとにして証明しようとするケースが多々見られるから話はややこしい。

 

 つまり「エビデンスが必要か?」ということの答えを「エビデンスで返そう」という、なんともバカバカしいことが今は常態化しつつあって、この記事を掲載した朝日新聞がまさにそうだろう。

 

 教授の話を「エビデンス」にして「エビデンスはなくてもいい」なんて主張をしようと試みているわけで、そんな態度がどうにも馬鹿らしいしインチキ臭い。

 

 エビデンスに関係なく自分たちの信じることがあれば、どんな批判を受けようとも、まっすぐに主張しつづければいいじゃないか。

 しかし朝日新聞はそうするわけでもなく、批判を避けるための言い訳をしつつ、「わかってください」と読者に懇願しているわけだ。「もっと私たちの考えを信じて、もっと朝日新聞を買ってください」と。

 

 そういうところがダメなんだと思うぞ?

 

 主張するなら誰から何を言われようとも主張を続ける。

 批判が嫌なら、それこそエビデンスのある事象だけを記事にして読者に提供する。

 

 私としては「新聞はエビデンスだけ書いてくれればOK」に一票。

 書いてある記事のすべてに根拠があり、信頼できるとなれば、そりゃあ朝日新聞も売れるようになりますよ。