普段からそんなにドラマを視るほうではない。
ネトフリなどにも加入していないので海外の大作ドラマとされるものがどの程度のクオリティなのかも知らんのだが、とりあえず『VIVANT』は第3回までおもしろく視ている。
ただ、考察系のユーチューブ番組がサムネに上がっていたのでちょこっと見たけど、なんかそうじゃないよなあって感じ。
次の展開はなんとなく思い描くだけにとどめておいて、作品に身を任せたほうがいいに決まってる。
細部の考察にしても気付く人が気付けばいいだけで、そこをいちいち取り上げてどうこう言うのも野暮ってもんだろう。
5ちゃんねるなどでも賛否いろいろと言われていて、これはツイッターだったかな?
「ドラムの持つ端末から発せられる日本語音声がクリアに周囲まで届くのはおかしい」「ご都合主義だ」なんて投稿も見かけ、そりゃあその通りなんだろう。
私だって、モンゴル軍の発砲場面のCGがチャチぃとか、「そこはすんなり進むんかい!」とストーリー展開の安易さが気になった部分はいくつかあった。
だけど些末なところをいちいち気にしてたら、たいていの鑑賞物……ドラマも映画もお笑いも演劇もコンサートも美術展も、楽しめないだろう。
ツッコミどころがまったくない完ぺきな作品など、この世にはほとんど存在しない。
たぶんそういうことを言う人間は、ドラマに限らずあらゆることにおいて、全体を見渡しての公正な判断はできないだろうなあとも思う。
とはいいながら、細かな点を一つだけ。
モンゴル軍に救出された後、「ラクダはどうするんだろ?」と思っていたら、ちゃんとドラムが然るべき場所にもどすといい、さらに堺と二階堂がちゃんとお別れのあいさつをしていて、そこにジンときてしまった。
洋物をほとんど見ないので認識が誤っていたらごめんなさいなのだが、ああいう場面、西洋人は単にラクダを乗り捨てて、やったとしても軽い敬礼ぐらい。それでさっさと次に移っちゃうんじゃないかなあ。
そこをちゃんと時間を取って描いているところが日本ぽくていいなあと感じた。
あらゆるものに対して感謝の心を持ち、礼を尽くす仕草をみせる。
そういう描写が入ることで、我々庶民の道徳観は醸成されていく。