私の子どもの頃には「人口増加が問題だ」と言われていた。

 満員電車や渋滞による通勤地獄。ウサギ小屋と揶揄される狭小な住宅。

 これらは悪いものだといわれていた。

 

 だから人口減少が問題といわれても実のところピンときていない。

 

 フランスやイギリスは日本と国土面積は大差ないが、移民込みでも日本の半分程度の人口でやっている。

 なのになぜ、日本は問題なのか、と。

 

 だいたい、あらゆる仕事においてはAIなども含めた機器の進化によって、人手はどんどん要らなくなって「将来はこういう職業がなくなる」なんてことが並行して言われているのだ。そんな今、なぜ人手を増やそうというのか。

 私個人の実感で言っても、20代の頃よりもインターネットの普及した今のほうが3倍ぐらいの仕事をこなせているのではないかとの自覚もある。

 人口が減るならそれに合わせた社会全体での事業の効率化を図るのが先決だろう。

 人口が半分になった時に今の収益が維持できていたなら、単純計算で収入は倍になるわけだし。

 

 少子化対策については、種の継続という本能に帰するものだからわからないでもない。

 要は「お家の繁栄」だ。

 しかし労働者不足の解消を同列に並べて、「それを補うために外国人労働者を」というのがわからない。

 これはまったく別の問題だ。

 日本の文化伝統を継承・発展のために子孫を残すということと、企業の儲けのために安い人手を確保するということは、同列の問題として取り上げるようなことではない。

 

 そもそも「事業を拡大して儲けるために人手を増やす」というのは成長期の企業の話であって、ある程度大きくなってからはむしろ効率化を図るためにリストラを敢行する。言い換えれば、人が少ないほど儲かるということだ。

 

 不要な人手を切るリストラと、少子高齢化のために労働人口が減るのでは意味合いが違うといえば、それは正しい面もあるだろう。

 しかしあらゆる職種においては機械化が進み、営業職などもある程度はメール対応が可能になった今、高齢がすぐさまデメリットとはならないようにも思う。

 昔と比べて現代人の生活は肉体の酷使による消耗が少なく健康意識も高まっているから、昔の60歳と今の60歳を同様に比べることはできないとの論も耳にする。

 

 移民導入が必要だという前に「このぐらいの社会を維持するためには、どの分野にどのぐらいの人員が必要」で「高齢者でまかなえない分野はこれで、ここに外国人人材を何人あてはめる」という「社会の設計図」を提出すべきだ。

 

 移民導入を「時限措置」として明確に期限を設けて行うなら理解できなくもないが、それよりももっと先に重視すべき政策はある。

 

「人生100年時代」というならば、せめて70歳ぐらいまでは安定して働けるような企業風土をつくる。

 介護など人手が足りないとされる分野に高齢の労働希望者を回すために、自動車の運転自動化やパワードスーツの導入など、肉体労働をなるべく必要としないテクノロジーの開発を推進する。

 地道で長期な作業を求められ、一攫千金は難しくとも安定して働くことのできる農業や手工業分野への高齢者の転職をやりやすくする。

 飲食店や小売業において高齢者雇用を優遇する補助制度を設ける。

 自衛官、警察官、消防士などいかにも体力勝負のような仕事も、前線で働く若い職員と、事務作業など後方支援のみに徹する高齢職員を完全分業化するなど。

 まあこれらはしょせん素人考えだが、ともかく移民に頼るよりも先に、何かしら国内でやるべきことがあるはずだ。