このところちょくちょく「民主主義は多数決ではない」なんていう、おそらく左派界隈の人間の意見を見かけるのだが、詭弁もいいところだと呆れるばかり。
まず最大公約数の意志に沿った決定を行う。
そのうえで、少数派の意見も取り入れることのできる部分は取り入れる。
それが民主主義における「当たり前」だ。
いや、共産主義だって、当初は「多数の支持」があったからこそ、革命も実現したのだろう。
多数派の望みを実現した上で、余裕があれば少数派の意見も取り入れてやるよ、っていうのが社会を運営するにあたって最もスムーズな手続きであり、この時に少数派は「これも権利」と主張するのではなく、多数派に「この意見も取り入れてください」とお願いする立場であることを自覚せねばならない。
多数決でないというなら、なんで選挙がある?
いちいち少数派の意見まですべて取り入れようとしても物事が進まないから、まずは多数派の意見に沿って物事を進めようというのが現行のシステムなのではないか。
いわゆる少数派の左派どもはそうした前提をすっとばして、初手から少数派の意見を取り入れろという。
バカもんだ、バカもん。
選挙で多数票を獲得し、その思いを託された人間が、多数の人々の代役として、その願いをかなえるために行動する。
現状が必ずしもその通りになっていないことへの不満はあるが、それが前提であることには違いない。
それを否定したいなら、「多数が支持する」ような新たな社会システムを打ち出してみなはれ。