連日の高市早苗関連報道。
高市の「捏造だ」「質問しないで」との発言は、言ってみれば昔ながらの潔さや清廉潔白を示す態度であり、私としては強いシンパシーを覚える(今段階で何が真実かは知らんが)。
きっと私自身も同じような立場になったなら、同様のことを言うんじゃないかな。
しかしそういった「自分なりの正義」は今の公的な場ではなかなか通用しない。
野党やメディアの高市叩きというのは、もちろん高市自身を潰したいという意図があってのことだろうが、それに加えて「自分なりの正義を追求するものを許さない」というところもあるように感じる。
いわゆる戦後教育や、ポリコレといったものに沿ったうえでの正義は許すが、そうではない個人の信念に則った思想信条は絶対に許さない。
そんな感情が(意識してのものかどうかはともかくとして)あるような気がしてならない。
表向きには「個性を大事に」などというが、その「個性を大事に」という言葉自体がポリコレに則ったものであって、そこから逸脱するもの、つまり本当に独自の個性については許さない。
そういった感覚の人は、メディアや野党、そのシンパの人たちだけでなく、社会全般に広がっているような気がする。
なによりもきれいごとが大事で、他者とは揉め事を起こさない。
このような感覚は嫁子からも感じることはある。
高市と批判勢力の対立の本質は、昔ながらの日本の正義といわゆるグローバリズム的な思想との対立にあるのではないか。
そして今の公的な場においては後者が優勢になってしまっているからこそ、高市のことだけでなくLGBTだのコオロギ食だのといったおかしなことがまかり通ってしまうのだ。
私としてはそんななかにあっても、自分自身の感覚、子どもの頃から身についている常識を大事にして生きていきたいと思うし、そういう態度の人たちの活躍を願っている。