きのう、参議院予算委員会の中継で小西洋之やら辻元清美やらが質問するのを横目で見ていてイラつくことしきり。

 旧統一教会にしても国葬儀にしても「いつまでゴチャゴチャ言っとるねん」というのはまずあるが、それ以上に結局コイツらは、それを心底から問題意識を持って質問しているわけではなく、政府から失言を引き出して自分のポイントにしようというだけなんだ。

 

 だから本質的な議論にならない。

 

 共産党を持ち上げる気はないけれど、こっちはまだ政府追及への本気度が感じられる。

 思想の軸が狂っているからおかしなことには変わりないのだけれど、真剣味が伝わるからまだ見ていられる。

 

 だが小西と辻元はダメだ。

 己のためのパフォーマンスをしているだけ。質問自体も世の耳目を集めそうなものを選んでいるだけで、そこには本心からの問題意識など一切ない。

 これは他の多くの立憲民主党議員にも見られる傾向だ。

 

 「批判ばかり」であっても、それが真っ当な、社会に必要なものなら「どうぞよろしくお願いします」なんだ。

 

 「批判のためだけのカラ批判」だから、わらふじなるおの藤原が演じる「カラ質問」みたく、嫌味にしか感じられない。

 そこで与党側が、口笛なるおのごとくバシっとツッコめば芸として成立するのだが、あいにく国会はそういう場じゃない。