二階俊博氏「黙って見送れ」国葬巡る再びの放言に「独裁国家」「税金使うな」と怒り最高潮に(女性自身) - Yahoo!ニュース
こんな言いぐさは下品だと思うし、そもそも二階自体いけ好かないのだけど、でもまあ私自身は国葬儀賛成派だし、「終わったらよかったと思う」というのはそのとおりなんじゃないかと考える。
だけど、YouTubeの時事解説的な番組で「二階は正しい」なんて言っているのをみると「なんか自家中毒に陥っているなあ」とも思ったりする。
二階みたいな物言いはあんたらも本心じゃあ嫌いだろ?
たいていの番組アップ主はどこの誰か存じないが、結局専門的な勉強や研究もしていないくせに何か筋立てたようなことを語ろうとするから、妙な理屈をこねくり回すことになるんだよなあ。
思想的な寄る辺が「安倍さんを肯定する」ということしかないから、安倍さんに関わることは全部が全部正しいと言わなきゃいけないってなっちゃっているようで、そうなると「安倍のやることは全部ダメ」のいわゆる「アベガー」と違いはない。
私としては、それはそれで嫌いなんだ。
こっちは時事を確認したいだけなのに、なんか素人考えを述べちゃったりしはじめると、ホントげんなりしてしまう。
「国葬儀参加を表明した野田佳彦は立憲民主にしてはマトモだ」とか。
テメェごときが他人を「マトモ」とか、何を基準にのたまわうのかとムカっ腹まで立ってくる。
私とて立民は大嫌いだし、嫌いという意味からクズだのゴミだの罵ったりもするが、歳も上で政治的経験も豊富であろう人間をマトモかどうかなんてことはとても言えない。
「野田はそういう人なんだ」と思うだけだ。
逆にしっかりとした学問なりをベースにして語るのであれば、思想的に賛同はできずとも見聞きしたくはなる。
それがないくせにもっともらしいことを言おうとして、無理やり理屈を持ってくる感じは右も左もみっともない。
「てめえはいったい何様なんだ」と。
それよりは「おもろい、おもんない」「好き嫌い」など個人的感覚で話しているほうが、ああ「この人はそういうふうに考える人なんだ」とわかるだけに、そっちのほうがよほど価値を感じる。
前にも書いたが、「好き嫌い」というのは伝統文化からくるものでもあり、むしろ取ってつけたような「素人論」よりは、よっぽど科学的に意味のある思考形態だと言えるんじゃないかな。
あと、私自身もそうなのだが、好き嫌いで言っていれば、二階の件にしても「こんな言い方は嫌いだけど内容には賛成」などと柔軟に物事を捉えることができて、何か事に際して思考の方向性を変えることも容易になり精神衛生上いいと思うんだ。