「おまえの言うことは間違っている」なんて批判を受けた時に、ちゃんと調査なり研究なりをしていてしっかり自分のなかに根拠のある人は「いや資料がこうなっていますから」「そうは言っても研究結果はこうなっているので」などといった返答になる。

 これは「資料や研究の結果」がこうなっているという事実の提示だから、「私が正しい」というのとは少々ニュアンスが異なる。

  

 そう考えた時に、「自分の言うことが正論だ」なんてことをいう人間はその時点でいぶかしむべきだろう。

 まじめに研究なり勉学につとめているならば、今時点でのその成果が「道半ば」であることを身に染みて感じているはずで、だからこそ「今のところこういうことになっている」とはいえても、それが「正しい」「真理だ」なんてことは軽々には言えないはずなのだ。

 「正論」なんていうのはただのポジショントークに過ぎない。それと同時に「間違っている」なんていうのも「間違った考え」だ。正論に確たるものがないのだから、それと対になる「誤り」だって確たるもののあるはずがない。

 

 「正論」だの「間違っている」などと簡単に言う人間は信じてはいけない。

 

 それよりも「好き嫌い」で話していることのほうが、その感情や感覚は日本の長い伝統からくるものであろうから、よっぽど信頼に値すると私は考えている。