あれは私が大学3年4年ぐらいの頃になるか。

週刊漫画アクションで連載されていた「迷走王ボーダー」と「シャッター」というマンガがやたら好きだった。

あと別冊アクションのほうで連載時期も違ったかな? ボーダーと同じ狩舞麻礼原作で、かわぐちかいじが描いていた「ハード&ルーズ」も好きだったなあ。

ボーダーと同時期にかわぐちかいじがアクションで描いていたのは「獣のように」だったか。

あの頃のアクション&別冊アクションはホントにおもろかったよ。

連載始まったばかりのクレヨンしんちゃんをゴミと感じるぐらいに他作品が充実していた。

 

これらのマンガに通底するのは「反体制」の思想で、左か右かでいえば左寄りとなるのだろうか。

それでもいまの私の思想信条の下地をつくったのがこういったマンガと、無頼派作家と称された阿佐田哲也(色川武大)であることに違いはない。

 

反体制思想に染まってきた私がなぜ「左翼なんぞゴミ」と考え、菅義偉こそ歴代最強の総理と考えるのか。

 

結局、私の思う反体制というのは、右とか左に関係なく、もっと単純に自分にとって心地の良くないものに背を向けるということなんだろう。

流行りなどに惑わされず、自分の大切に思っていることを「保守」する。

私のなかで反体制と保守はイコールなんだ。

 

 

具体的にどんなものに背を向けているのかといえば、昨今でいえばグローバリズムやポリコレといったものであったり、私の常識では虚業としか思えない金融取引での儲けだとかYouTubeでの稼ぎで「カネ稼いでる俺は偉い」なんてのも嫌だねえ。

 

芸人の世界に見られる「テレビのバラエティで売れるのが成功」という考えも嫌いだ。

 

昨日のアメトーーク、「すぐナメられちゃう芸人」なんてのを見ていたら、最終的に天津・向が「テレビ的に売れていないから」という理由で他の芸人からナメられているという構図になっていたのがホントに不快だった。

一方、金属バット友保はネットラジオの「声流電刹」で「人がごみごみしてるのは好かんし、拘束時間が長いくせにちょっとしか出番がない」との理由でよしもとの一大イベント「LIVE STAND」出演を最初から断っていたなんて言う。

そういうのを聴くと、やっぱりシビれちゃうんだよなあ。

 

政治的な思想信条はどうであれ、そうやって世間の流行とは関係なく我が道を行く人たちは心から応援したいと思う。