「レイプは襲われる女性にも原因がある」と「襲われる女性にも責任がある」
「いじめられっ子にもいじめられる原因がある」と「いじめられっ子にも責任がある」
私の考えとしては「前者は〇で後者は×」となるのだが、世間ではこれを混同した論がまかり通っているように感じる。
そりゃあ現代社会においてレイプは犯罪なのだから襲う男に100%の罪と責任があるのは当然さ。
ただ、女性側にも原因および危険因子を減らすための方策はあるでしょってこと。
「女性は夜道を一人歩きすべきでない」「薄着で出歩くもんじゃない」などといった昔ながらの物言いは女性を縛り付けるためのものではない。
それだと現実にレイプや誘拐などの危険が高まるからよしなさいと、女性を慮ってのものなのだ。
その時に「女性の自由」なんてことを持ち出すから話がおかしくなってくる。
自由だといって赤信号で飛び出せば車に轢かれる危険性は高まる。
それと同じ意味で「男の危険性を考えて行動してはいかがですか」っていう話だ。
男なんてほとんどが、一度はレイプの妄想をしたことがあるんじゃないかな。
私も思春期には何度妄想したか知れん。
そのぐらい男はどうしようもなく本能的に性に囚われているのだ。
だけどいざ現実的に考えれば自分にとっても相手にとってもマイナスにしかならないことに思い至るからやらないというのが今の普通の考え方だし、そういう理性を保つための教育は絶対的に必要だ。
だけどやっぱり衝動に勝てない人間は多少なりともいるわけで、そんなヤツに襲われないための知恵として、ムスリムの女性はヒジャブを被る。
他人の善意などという確証のないものに期待を寄せる前に、まず自分のことは自分で備えをしておくべきという話で、これはいじめ問題についても同じことがいえる。
いじめられないよう、親が小綺麗な洋服を着させるとか、最低限の学力をつけさせるとか、ムダに太らせないとか、明るくあいさつできるよう教えるとか、無邪気にいじめのない社会などに期待する前にやっておくべきことはいくらもある。
これは「いじめられるほうも悪い」などという話ではない。
生きていく上での知恵とかそういった類の話だ。
コロナにわざわざかかるような行動をしないのと同様に、いじめにつながりかねない要素は排除しておくべきだし、レイプ被害につながるような行動はなるべく避けるべきという話なのだ。
いじめもレイプも被害者には罪も責任もないし、加害者が悪いのはあたりまえ。
だけどこれらの犯行が人間の本能に起因するものである以上、法的あるいは道徳的に完全になくなることを期待したりそのための啓蒙活動をするのはいいとしても、それに加えて被害者にならないための備えはしておいたほうがいいでしょ? ってこと。
それでもなお被害に遭う危険性はゼロではないが、やらないよりやるほうが被害に遭う確率を下げることには違いあるまい。