橋下徹が櫻井よしことの討論のなかで「戦争になったら戦わずに逃げるべき」みたいなことを言っていたらしいのだが、それってまず戦争というものに対する大枠の考え方が違っているんですね。

 

 「戦う」と「逃げる」は両立するんですよ。

 ウクライナだって女子どもは逃げて、男が戦っている。

 日本も戦争となればまず戦うのは自衛隊であり、一般の民衆はみんな逃げるんです。

 

 で、そんな大変な役回りをお願いする自衛隊にとっての、よりよい環境をつくるために憲法を改正し、防衛費を増強する。

 

 いろいろと反対する人たちというのはわざとなのかなんなのか、そういう基本の道理のどこかをすっ飛ばして議論を進めようとするんですね。

 

 「戦争になると苦しむのは民衆だ」という言説も大事なところが抜け落ちている。

 

 戦争しなくても苦しいから、せめて状況を好転させるためにと戦うんです。

 日清、日露、大東亜戦争にしたって、黙っていれば欧米列強の植民地にされるという切実な問題があったから、これを打破するための方策として、当時の指導者がそういう選択をしたということ。

 それが正しかったか間違っていたかはさまざまな議論もあるだろうが、少なくともそのままの状態でほおっておいたら、民衆が苦しむ事態に陥っていたことは間違いなかったはず。

 それに、大東亜戦争は負け戦だったから総力戦を余儀なくされて日本の民衆は苦しむことになったけど、当時のアメリカ人なんかだと「どこかで戦争やってるらしいね」ぐらいの人も多かったんじゃないかなあ。

 

 勝てば天国、負ければ地獄だけど、ほおっておいても苦しいだけだから戦う。

 少なくとも大東亜戦争の時代まで、欧米列強は「自分たちの儲け」のために侵略を続けていたわけで、そこに話し合いなどの余地はなかったわけだしね。

 

 

 ただし、東西冷戦のころまでは侵略が手っ取り早い金儲けの手段だったから欧米やソ連は好んで戦争を仕掛けていたけれど、今の時代、グローバル市場なるものにおいて十分に儲けられるからその必要がなくなった。

 

 いまの時代に好んで戦争をしようとするのはとち狂った指導者が暴走する専制国家だけであり、その専制国家に周囲をかこまれた日本の国民は、自分たちの安全を保障してもらうためにも自衛隊を徹底サポートし、日々感謝の念を忘れてはいけないということなんですね。