もっとみんな任侠映画を観るべきだな。
このところの統一教会批判などをみて、そう思う。
物事の見方が単純な人が多すぎる。
安倍さんに絡めて統一教会を批判する人にも、擁護する人にもそう感じる。
統一教会という存在を「悪」とするのは、まあ当然だろう。
だからといって「関わった人間も全部悪」というのも「ちょっと関わったからといって全然悪くない」というのも、どちらも考え方が表面的すぎやしませんか?
いまの世の中、「こういう悪いところもあるけど、こういう仕方のない面もある」なんていう言い方だと、なかなか他者に通じ難いということもあるのだろうが、メディアの人間もSNSで何か言ってる人たちも、一面からしか物事をみていないように感じられて、そういう意見ばかりを見せられると辟易としてしまう。
少なくともお天道さまの下で生活している人たちには、ごくごく稀な例外を除けば完全な善もなければ完全な悪もない。
物事はきれいごとや合理性だけではどうにもうまくいかないことがあるものだ。
自分なりの善と悪の狭間でもがき苦しむ様を描いた任侠映画は、そうしたことをわかりやすく実感することができる。
「悪いもの」とレッテル貼りされればすべて排除されてしまう今の世の中は、昭和の人間ならみんなが知っていたような人生の機微みたいなものも悪といっしょに排除しているのではないかと懸念する。