子どもの頃に道端の犬の糞をつつきまわしたような、「嫌なものを見たくなる」という感覚がいまだに消えず、それで最近たまに見るのがYouTubeのゆたぼんに関する批判動画みたいなやつ。
ゆたぼんの日本周回旅がクソだというのはそうなんだろうが、しかしわざわざ子どものやることを事細かに取り上げてまで批判するかなあっていうどうにもスッキリしない気分になりながら、それでいて批判する側もされる側もゲスい感じがクセになってしまって新たな動画が上がればついつい見てしまう。
嫌なもの見たさの段階を過ぎて、糞をつつくのも嫌というか、YouTubeでもヤフーニュースでも一回みてしまうと次から優先して上がってくるのが不快でなるべくみないようにしているのは、ひろゆき、ホリエモン関連。
それでも見出しやサムネだけはついつい見てしまうのだが、そこで最近ひろゆきが、やたら統一教会の批判をしているのがどうにも鼻につくというかねえ。
まあ誰かが批判すべき対象だとは思うが、なんというかなあ。
別に批判のきっかけづくりとなるのなら誰でもいいといえばそうなのだが、やっぱり「おまえが言うな」感が強いんだよなあ。
別に団体や信者そのものを調べたわけでもなく、どうせネットとかに流通している情報で文句を言ってるだけなんだろ?
だいたいさあ、ひろゆきっていう人の論というのは、彼の見える範囲の屁理屈を優先させて、それに沿わない個人の感情やら伝統的感覚を否定する方向でふだんはやってるわけでしょ?
それに沿っていえば、「統一教会にしても創価学会にしても、法に反していないのだから、受け入れないというのは、それはあなた個人の感想でしょ?」みたいなことになるんじゃないの?
それを感情的に統一教会批判しているのが、何か違和感があるというか気に食わないというか。
私がこれまでに少ないとはいえ見聞きしたひろゆきの論調からすると「どんなに既存の道徳に反していても法に反しなければ批判するには足りない」ってなるんじゃないのかね?
もしかしたら彼の近しい人がカルト宗教にハマって酷いことになったとかあるのかな?
それなら多少同情すべき点もあるけれど、「日本で信者から集めたカネを韓国に献金してる」ったって、それは海外に住んで日本で稼いで海外で納税してるアンタもかわらないだろうっていうね。
昨日も書いたことだが「詐欺もビジネスも本質は同じ」という私の考えからすれば、ひろゆきもカルト宗教も大差ないってことになるわけで、ということはひろゆきがカルト批判に精出すのは、同族嫌悪ってことなのか。
それならわかる。
どっちも人をダマしてカネを取ってるんだから。
それで「俺のやり方をもっと派手で大がかりにやってるのが気に食わない」っていう。
本人はそのように意識していないのかもしれないが、潜在意識がそうさせているのかもなあ。