もう何年もまえのことではっきり覚えていないんだが、母親が上京してきて、たしか「立正佼成会の仲間の人たちと本部に来た」ってことだった。

 

 で、その時に、私のことも「信者として登録しておいた」みたいなことを言ってたような気がするんだよなあ。

 だからたぶん、私は立正佼成会の信者のはずです。

 記憶がどうも曖昧で、もしかしたらどこか違う宗教団体だったかもしれないけど……。

 

 とはいうものの、祖父母ともに仏教(西本願寺派)で弔いをしたし、立正佼成会の教義がどんなものかも知らないが、実家へ帰った時にはそれっぽい祭壇みたいなものも見かけなかったんだよなあ。

 

 記憶をたどると、あれは父親からだったかなあ。真光のシールを「財布に貼っておくとお金がたまる」なんていってもらったこともあった。

 

 それでいて、親鸞だったか日蓮だったかの本を「いいこと書いてある」なんて読んでいたのだからわけがわからない。

 

 あと祖父母はなにか民間宗教みたいな、田舎町の「先生」のところにも定期的に通っていて、私も幼い頃にはそこからもらったお守りを身につけていた。

 「お札さん」と呼んでいた南無阿弥陀仏(だったかな?)とかかれた小さな紙片を、「お水さん」という祈祷を受けた水で毎日飲んでいたりもした。

 

 宗教的にはもうぐちゃぐちゃなんだけど、想像するに、祖父母も父母も、特に熱心な信者ということでもなく地域のサークル活動のようなノリでいろんな宗教に親しんでいたんじゃないかな。

 

 結局、自分の軸がしっかりしていれば、宗教なんてなんでもいいってことなんだろう。

 軸っていうのはきっと、ご先祖さまへの思いであったり、代々教わってきた道徳心であったりというものだ。

 そっちが一番であって、神様も仏様も二の次の、単に生活に潤いを与える娯楽の類にすぎないんだ。

 

 こうした感性というのは、別にうちの家族に限ったことではなく、多くの日本人に共有されてきたものなんじゃないかな。

 

 神様はなんだっていいし、じつは為政者も誰だって構わないんだよ。