昨日、30歳でこぼこぐらいの自力でビジネスを行っている若者と話していた時に、話の流れで「誰か信頼したり意見を参考にしている人物はいるか」と尋ねたところ「いません」と即答されて、何かすごく違和感を覚えてしまった。

 

 私自身、10代20代の頃は「尊敬する人物は」などと聞かれて「?」って感じだったのだが、今になって「そういうものがあった方が良かったんだろうなあ」と強く感じている。

  困った時、迷った時に「あの人ならきっとこうするんじゃないか」と具体的な指針となり、それによって己の新たな成長にもつなげられたのではないか、と。

 

 自分であれこれと考えて行動するのも大事なことだが、しかしそれだけだとどこかで行き詰るというか、それまでの自分の枠からは抜け出せない……自分自身のこれまでの人生を振り返ってもそんな風に感じてしまうのだ。

 「人の良いところを見る」っていうことは、自己啓発本なんかを読むよりもよほど自分のためになるようにも思うし。

 

 今はパソコンやスマホでちょちょっと検索すれば大抵のことはわかるだけに、私の若い頃よりもさらに「若さゆえの全能感」があるのかもしれない。

 誰かを尊敬しようにも、粗の部分もいろいろと見えやすくなっているだろう。

 

 だけどそれでも、誰か1人でも2人でもいいから「指針となる人物」を心に抱き、「尊敬の念」を以てこれに付き従うことを若いうちにしておいた方が、人生においては大きなプラスになるように思う。

 たとえ「この人を信じて失敗した」と思うようなことがあったとしても、若いうちならやり直せるわけだし、それはそれで大きな経験にもなるわけだからね。