自分がもし被災者だったとして、千羽鶴が送られてきたら……確かに「そんなもんより食いもの寄越せ」と思うんだろうなあ。
だけど邪魔とまでは思わない。
他人の折った鶴を自室に飾るとなると、なんとなく気味悪く感じちゃいそうだが、避難所とかにあるぶんには「ああ、心寄せてくれている人もいるのだなあ」とほっこりした気分になりそうな気もする。
すぐに消費されてしまう食料や金よりも長く残るぶん、心の支えとして精神ケアの意味で有効だったりするかもしれない。
そんな口汚く罵るほどバカげた行為なのかねえ?
特に深い考えもなく、なんとなく古い風習を悪く言いたいだけじゃないの?
ひろゆきとかDaiGoとか。
千羽鶴を折るのも送るのも、あくまでもこっちの気持ちの表明というだけのこと。
相手が「いらねえ」と思うなら捨てればいいし、紙なんだからたいしたゴミにもならない。
なんなら煮炊きの燃料にもなるだろう。
気持ちの表明がダメというなら、それは思想統制であり、表現の自由の侵害だ。
なんでひろゆきやらDaiGoやらに文句を言われる筋合いがあろうか。
千羽鶴がムダだと思う人は違った支援をやればよろし。
東日本大震災の時にも「千羽鶴が邪魔」みたいな報道を見かけたが、記憶違いならごめんなさいだけど、たしかそれって支援物資を仕分けする人の言葉じゃなかったっけ?
しかも全員が同じ意見ってわけでもなかろう。
むしろ有難く受け取って飾ったところのほうが多いんじゃないかなあ。
「日本人の気持ちの押しつけだ」「ウクライナ人は有難迷惑」って言うけど、ホントにウクライナ人の気持ちを聞いたのかい?
それが異文化交流ってことになるかもしれないわけだし、そんな文句を言うことのほうが近視眼的でヤバいと思うぞ?
これも例えばの話だが、もし私が被災者だったとして、どこぞの外国の部族からよくわからないオブジェが送られてきて「これは平和の祈りを表したものだ」と言われたならば、「へー、珍しいものをありがとね」って感じで受け止めると思うがなあ。
「鶴を折る時間があるならその分の時間でバイトでもしてそのカネを送れ」というのも筋違い。
生活支援は本来、国なり自治体なりのやることなんだから。
「利にならないこと=ムダ」という痩せた考え方も嫌いだね。
被災地で花とか植えたら「そんなもんより食える野菜を育てろ」とか叱られそう。
ヤダヤダ。