何だか似たようなことを言ってるなあと。
水道橋博士、太田光の選挙特番を「痛快」と絶賛「偉そうな人に限って絡んで言うのって芸人の基本」(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
共産・志位氏、辞任せず 衆院選退潮も責任論を否定 - 産経ニュース (sankei.com)
どこが似ているかといえば、どちらも「大衆の評価」を軽んじているところ。
大衆の支持があってこその芸人、大衆の支持があってこその議員という本質のところを忘れているのか、そもそも頭にないのか。
「自分こそが正しいのだ」とふんぞり返っているところは根っこのところで同質だ。
水道橋博士の記事のほうで高田文夫が「談志やたけしでもあそこまで言わない」と言ったとあるが、それは即ち「談志やたけしは、あの場であんなことを言わない人情や、人心の機微を掬い取る知性があるから一流なのだ」と言っているように私は受け止めたのだが、実際のところはどうなんだろう。
太田光が本人のいないところで同様のことを言ったのであれば、あるいは直接本人に言うにしても翌日以降であればまだ芸になる余地はありそうだが、これはそうじゃない。
昨日も書いたが、いくら思想の異なる相手でも、懸命に戦った直後の人間に直接冷や水を浴びせるなどは、まさに下種の極みっっっ!(ハマカーン浜谷のように唇を震わせながら)。
本質のところに人情のないただの皮肉は嫌味にしか感じられないのだよ。
「そんなんだから君もメディアから消えつつあるのだよ」と水道橋博士には言いたい。
志位については言うまでもない。
「自分の理論理屈だけが正しくて、それが理解できない奴らはみんなバカ」というのは左翼の基本的なふるまいだ。