年寄りがぼんやりテレビを視ている姿を端からみていて、なかなか冷酷なことを思ってしまう。
「もう死ぬまでの時間なんてたいして残ってもいないのに、よくも無駄に使えるなあ」と。
逆に考えれば、死ぬまでのことを考えるのが怖いから、何も考えずにぼんやりとしているということなのかもしれない。
子育てが終わってしまって、現役でバリバリ仕事ができるほどの体力も知力もなくなってしまった時に、果たして私に生きる価値などあるのだろうか。
暇つぶしということなら、やりたいことは山ほどある……と今は思っているけれど、実際にそうなった時、ただ自分のちょこっとした欲求を満たすだけの生活に私は耐えられるのだろうか。
そんなことを考えた時に思い浮かんだのが祖母のことだった。
90過ぎで亡くなったのだが、死の直前まで裁縫で細々としたものを作って周りのみんなにあげるというようなことをしていた。
私も祖母の作った巾着を今も使っている。
そうやって多少なりとも他人の役に立つことをするというのは、老後の過ごし方としてなかなかいいなあと思う。
なるほど、小学校の通学路で旗持ちをしたり、何かボランティア的なことをやっている年寄りたちもきっとそんな気持ちなんだろう。
「生きがい」や「趣味」なんて言っちゃうと何かぼんやりとした印象だが、「他人の役に立つ」ということなら具体的なことが考えられそうだ。
そもそも今だって、家族のために稼がなきゃって気持ちがあるから仕事しようという気にもなるわけだからな。
年老いた時に、孫に対してなのかまったくの他人に対してなのかは分からないけど、多少なりとも人に喜んでもらえるようなことができるように、今から何をやるべきか考えていくことにしよう。