もう話題としては一週間遅れぐらいになるのかな?

 子どもたちが「親ガチャに外れた」だの「当たった」だの言ってるとかなんとか。

 ウチの娘だとどう思うのだろう?

 「当たり」ってことはないだろうけど、ハズレっていうほど苦労させてるとも思わんのだがなあ。

 

 まあでも、こんなのは言葉そのものは目新しいかもしれないけれど、子どもが親に文句を言うなどふつうのこと。

 いちいち話題にするようなことでもない。

 親が金持ちなら金持ちなりに、貧乏なら貧乏なりに子どもってのは反発するもので、どんな親であっても「ハズレ」と考えるのがむしろまともな感受性の子だとすら思う。

 

 親自身がいくら「子どもには何ひとつ不自由させていない」と思っていたとしても聖人君子じゃあるまいしどこかに欠点はあるはずで、子どもはそういうところを身近に見ることで「大人とは?」「社会とは?」というのを勉強していくのだ。

 

 「親が貧乏で」とか「格差が」とかそりゃあ子どものうちは苦痛に感じることもあるだろう。

 「貧乏すぎてまともな教育も受けられない」なんて話を聞くと、たしかに大変だなあと思わなくもないが、しかしその一方で「貧乏で子に苦労させるような親の遺伝子を受け継いでいるなら、その子もまあそれなりのもんなんだろう」とも思ったりする。

 内乱や飢餓の国ならともかく、今の日本なら、まともな知性のある親であれば例えカネに恵まれなくとも、何らかの形で子に教育を施すことはできるだろうからね。

 

 学習能力は後天的なものとする考え方が一般的なようだが、私は必ずしもそうは思っていない。

 「後天的に伸びる要素も多々ある」というぐらいが実際のところではないか。

 スポーツなど運動能力に遺伝的要素があるように、知能にだってそれは多少なりともあると考えるのが自然だろう。

 実際、進化の過程では運動能力や知能の高い人間の遺伝子が残ってきたのだろうし。

 

 そう考えると、やっぱり「親ガチャ」問題はあるのか。

 現状が金持ちとか貧乏とかってことではなく、親の生来の能力が高いか低いかは確かに子どもからすると重要なのかもしれない。

 

 バカで運動音痴の親から生まれたら、これは遺伝子の問題でどうしようもないもんなあ。

 とはいえ、「ハズレた」と早く気づくだけの知性があればその子は自分なりの解決策を考えることもできそうだし、「ハズレかどうかもわからん」という程度の脳みそならそれなりに状況に馴染んだ生活はできそうだし、結局どっちにしても大した問題ではないという結論になるのか。